「論理は、あらゆる経験に先立だっている」

 

 

クリスマスイブの21時台の世田谷線はガラガラだった。
お家パーティでみんな早めに帰宅したのかな。

 

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩』 中村昇著を読む。
心に残ったところを何点か。

 

2私は世界だ

「わたしたちは、はっと気づいたときには、かならず<私>というとても狭い部屋に閉じこめられています。そこから、その同じ<ワンルームマンション>にずっと住みつづけます」
ウィトゲンシュタインが言うように、「主体(私)は、世界の一部なのではない、そうではなく世界の境界」なのです。世界をつくりあげているのは、<私>という領域なのです」

 

ユクスキュルの提唱した「環世界」に重なるし、ネット民の島宇宙宮台真司のいう「タコツボ化」にも重なる。なぜかパフュームの『ワンルーム・ディスコ』を思い浮べた。

 

3論理

「論理は、あらゆる経験に先立だっている」とは。

「世界がなければ、そもそも経験はできない。その世界を論理が支えていると言います。(論理)という骨組みがあって、建物が存在しているからこそ、そのなかに入っていく(経験する)ことができるのです」

ウィトゲンシュタインの考える「論理」、世界の土台なんだ。


23疑うことと信じること

なぜウィトゲンシュタインデカルトの「方法的懐疑」(無理やり何でも疑おうというプロジェクト)を批判し、いかに論破したのか。

デカルトは錯覚という現象があるから、感覚は信用できない。確かではないと結論」づける。
ところがウィトゲンシュタインはこう反証する。
「確かな知覚をもとにして初めて錯覚という現象がでてくるのです」
同様に、夢もそうだと。

これも納得。断じて屁理屈なんかじゃない。

 

意外だったのは、ウィトゲンシュタインハイデガーに「共感」を抱いていたということ。師であるバートランド・ラッセルの論考にも批判的だったのに。
真逆の哲学者だと位置づけていたのだが。さらに同い年だったとは。

 

ハイデガーの主著である『存在と時間』の「存在」。

「「存在とは何か」という問いはまったく無意味だと言います。「すべてアプリオリにただ無意味(経験とは関係なく最初から無意味)」
なのです。」
ナンセンスと一刀両断。しかし、
「「われわれは、言語の限界に対して突進する衝動」をもっている。それが、絶対的に無意味だとわかっていても、そうせざるを得ない衝動をもっている」
人は感情で動くってこと。

 

ウィトゲンシュタインは哲学のジャーゴン、専門用語は排除しているというが、
ウィトゲンシュタインの哲学にも、独自の解釈による用語も出て来る。
たとえば言語ゲームとか。そのあたりを初心者向けに作者は平易に咀嚼している。

 

これまでウィトゲンシュタインの著作や解説書、入門書の類を読んではいたが、
はたしてどこまで理解していただろうか。
この本でまた新たな一面を知ることができた。

 

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