『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎』デヴィッド・エドモンズ著 ジョン・エーディナウ著 二木 麻里訳を読む。
1946年10月25日、ケンブリッジ大学のH3号室。晩秋の季節ともなると、夜はかなり冷え込む。暖炉には赤々と石炭が燃えている。ウィトゲンシュタインとポパーが論戦をはじめる。実際は、論点が噛み合わないから、議論にはならないはずなのだが、いきなりの足を止めての言葉の殴り合い。その様を見つめるいわば後見人役、分析哲学の祖、ラッセル。さらに取り巻き連中が。「最初で最後の」夢の顔ぶれ。
たぶん、まだ無名に近かったポパーの多弁に、ウィトゲンシュタインは激昂したのか、先端が真っ赤に燃えた火かき棒を手にした、その瞬間、シーンは停止する。
映像だったら、ストップモーションのまま、フラッシュバック。作者は、事件の真相を探るために、当日の参加者の証言を記述したり、三人の哲学者のプロファイル、文化都市ウィーンなどを重層的に紹介していく。
ウィトゲンシュタインとポパーは、年齢は離れているが、ともにウィーン生まれのユダヤ人。一代でオーストリアの鉄鋼王を父に持つウィトゲンシュタインは、破格の大金持のお坊ちゃま。ポパーとて弁護士の父を持つ、裕福な中産階級の子。
飛行機のエンジン設計や自邸の設計など、多才なウィトゲンシュタインは、第一次世界大戦の塹壕の中でも執筆していたといわれる『論考』などの著作もさることながら、一時、アカデミックな場から離れ、半ば隠遁するがごとく、小学校の教師を務めるなど風変わりな生涯を送っている。天才ならではの不遜ぶりが、なぜか、結構小気味良い。
「理論が科学的であるためには、反証可能でなければならない」というポパーは、家の凋落により、苦学して大学で学び、博士号を取得する。
昔、大学受験の英文というと、決まって引用されていたウィトゲンシュタインの師匠格に当たるラッセルも、自転車に乗って移動していたら、離婚を思いつき、別れてしまったというかなり、エキセントリックな性格の持ち主。
ナチスから逃れるため、遥かニュージーランドで教鞭をとり、ようやくイギリスで奉職にありついたポパーにとっては、ウィトゲンシュタインの鼻をあかすことは、またとない栄誉であり、恰好の宣伝の場であると勘ぐるのは、ぼくが下衆だからなのだろうか。『アマデウス』のモーツァルトとサルエリのたとえを持ち出すのは、ポパーに対して失礼か。
名前だけ知っていたウィーン学団−楽団じゃないよ、それはウィーン・フィルハーモニーとかの方−の実体とウィトゲンシュタインとポパーのポジショニングも知ることができた。
「火かき棒事件」は、いしいひさいちの『現代思想の遭難者たち』にも取り上げられている。
で、肝心の「火かき棒」だが、ちょうど日本がバブルの頃、サザビーズのオークションで、法外な値段で落とされて、現在は日本の、とある美術館に所蔵されている。
と、いうのは、嘘。