メイク・ブレッド

 

 

炎天下の引越し。今日が最終日。

7カ月余りの仮住まい。お世話になりました。

 

荷造りをしていたら、伊丹十三著の『日本世間噺大系』と遭遇。
何十年かぶりで読み直す。いかんいかん。

十代後半から二十代前半、
いかにこの人の考え方に感化されていたかが
わかって、やや赤面。

そういえば、伊丹十三に似ているといわれたことがあった。
うれしかった。

 

何をやらしても達者な人は、自分の才の限界も
見えてしまうのだろう、きっと。

凡人なんで、いい歳こいても、見えない、見えない。

 

たとえば、こんな話。

 

「猫というものは乳児の頃、母親の乳房を吸う際に、前足で乳房を揉むようにして飲む。この癖が大人になってからもそのまま残り、機嫌のいい時には、盛んに左右の前足で物を揉むようなことをするのである。日本ではこの動作に対する特定の呼び名がないが、英国ではメイク・ブレッドといっている。つまり人間がパン種を捏ねる動作に似ているからだろう」

 

おたくの猫は、するだろうか。ま、たいがいするはずなのだが。

わが家では「おっぱい呑み」といっている。
で、いろいろなもので試してみた(先代猫)。

 

毛布ー毛足の長いの○ 毛足が短いの△
フリースのひざかけ× タオルケット× バスタオル×
羽毛ふとん×  

 

毛足の長いものに対して母親の体と思い、反応するらしい。
毛布にのせると、のせられるという強制的行為に対してはイヤがるのだが、
のせたとたん、一転してゴロゴロしながらモミモミしはじめる。

二代目猫もケージ内でする。

 

クロネコヤマトが子猫をくわえて運ぶ母猫をマークにしているが、
このおっぱい呑みのマーク、マッサージチェーンやパン屋で採用しないものだろうか。

困ったときの猫ネタ頼み。

 

にしても、またまた家財道具や本などの処分をしないといけない。
紙のアルバムってなんであんなに重たいの。


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負けるが勝ち

 

   

『負ける建築』隈研吾著、読了。

いやあ、おもろかった。作者は『新・建築入門』を読んで、
ぶっとんで、以来、建物、書き物、発言に注目している。

 

「勝ち誇る建築ではなく、地べたにはいつくばり、様々な外力を受け入れながら、
しかも明るい建築というのがありえるのではないか」

のくだりって、同じ「負け」つながりで酒井順子の『負け犬の遠吠え』に通じるものがある。

 

ほかにもひっかかったところをつらつらと挙げてみると。

 

アメリカの住宅。長期にローンを組んで郊外に家を建てると、
人々は、自然と保守的になり。国家にとって管理すること、この上なくラクだとか。

 

バブル時代は円高のせいで、海外の建築家が国内の建築家とさして変わらぬギャラで
仕事を依頼することができた。

 

さらに広告代理店がからんできて、中でも不動産に特化した広告代理店は、
ロケーションはもとより分譲マンションだったら、その価格設定まで算出した。
これは、ぼくも知っているところ。なんたってコピーライターが不動産鑑定士の資格を持っているとか、ウワサ。ゼネコンは丸投げしちゃうよね。


で、建築家は広告代理店からオファーを受ける。変といえば変だけど。

 

住まいが大量生産され、なんだか工業製品にカテゴライズされようとしたが、
住まいは完成して施主に渡されたときがゴールではなく、そこからがスタートなのに。

 

ひと昔前の住まいは大工の棟梁にできてからも、
あちこちのメンテナンスやリフォームを頼んでいた。

 

それとそれまでの建築家は文字通り「勝ち誇る建築」をしてきた。
そこに風穴を開けたのが、プロボクサーあがりの安藤忠夫だと。
ニッチビジネスといえばそれまでだか、安藤は安藤印、ブランドでのしあがってきた、
安藤忠夫プランド説も納得できた。

 

「施主と設計者」の関係を性風俗のお店へ来る客と風俗嬢に見立てたあたりも慧眼。
建築家とてホスピタリティを基本にしたサービス産業なんだと。

 

「いかなる形にも固定化されようのないもの。中心も境界もなく、だらしなく、曖昧なもの.....あえてそれを建築と呼ぶ必要は、もはやないだろう。形からアプローチするのではなく具体的な工法や材料からアプローチして、その『だらしない』境地に到達できないものかと、今、だらだらと夢想している」

 

イーネ!

でも、いまや「負けない建築」になっていんじゃねと、やっかんでみる。

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どれも、これも、ふかイヤーな話―まさに、キング・オブ・コント(短編小説)

 

 

地獄の門モーリス・ルヴェル著 中川潤編訳を読む


なべて人は成功譚や幸福な話よりも失敗談や不幸な話を聞きたがる。
「他人の不幸は蜜の味」というが、この本は酸いも甘いもいろいろある。
たてまえの裏に秘められた本音を暴いたリ、イヤな話、辛い話のオンパレード。

 

編訳者あとがきによると

「怪奇文学の観点からは、エドガー・アラン・ポーヴィリエ・ド・リラダンの系譜」「タッチとしてはモーパッサン自然主義リアリズムに近い」

 

要するに、いいとこどり。

すき間時間や空き時間に読むのにもってこいだが、
ルヴェル沼にはまると、仕事や勉強に手がつかなくなるおそれも。

何篇か、見つくろって、そのさわりをば。

 

『髪束』
フロンタックの愛人、ルイーズは決して美人タイプではない。しかし、髪の毛はパリで一番美しいといわれていて、彼もぞっこんだった。
ゲーム仲間のル・ゴレックが、彼女の髪より美しい髪を見たことがあると。証拠に髪束を渡す。ルイーズの髪にそっくり。浮気?怒りのあまり決闘を申し込むフロンタック。ル・ゴレックは剣を刺されて虫の息。その髪束の持ち主は。

 

『金髪の人』
彼は生まれつきブサ面で事故に遭い、猫背で足を引きずるようにしか歩けない。お年頃になって思い切って女性に声をかけてみた。女性は怯えて金切り声をあげ、猛スピードで逃げて行った。落ち込む一方の彼。自分の人生をふり返ると死にたくなる。その寸前、娼婦に声をかけられる。オレに声をかけてくれる女性がいる。初めての接吻、初めてのジュ・テーム。しかし、命は尽きようとしていた。

 

『足枷』
未亡人となったジャルディ夫人。葬儀をそそくさとすませ、かねてからの計画通り、年下の愛人シャランドレと夫の遺産で悠々自適な余生を送るはずだった。ところが、遺言書には財産は「孤児救援友の会」に寄贈すると。若い愛人は態度が豹変する。金のない年増女と誰が一緒になる?
そこへ公証人が現われる。最新の遺言書があると。そこには、シャランドレとの再婚を条件に遺産を贈ると。妻の浮気をとっくに知っていた夫。最後の最後に手痛い目に遭う。

 

『太陽』
捨て子だったパラディユは、12歳の時、孤児院を脱出した。それからは自由な暮らしを楽しんでいた。ある日、憲兵隊に捕まる。彼は召集兵のリストに入っていて、そのまま兵隊になる。三食食べられ、寝床も快適な軍隊暮し。日が経つにつれ、かつての気ままな暮らしが恋しくなった。脱走を試みるが、失敗。作業を拒んで営倉に入れられる。独房の中で偶然ポケットにあったキラキラしたガラス片は彼の太陽で生きる希望でもあった。それを下士官が見つけ、砕けるガラス片。彼は下士官を殺める。孤独と不条理の文学の先駆け的作品。

 

『生還者』
ギウー夫妻のもとに村長がやって来た。夫妻の息子が載っていた潜水艦が攻撃され、おそらく亡くなったと。突然のことに怒りの矛先が見つからないギウー。一時救援金として200フラン、さらに追加の金ももらえることを伝える。いつの間にか耳ざとい隣人たちが同席。まずは200フラン。それから毎年国家遺族年金が700~800フランもらえると隣人の一人。皮算用に走りかけるギウー。

そこへ、まさかの息子、登場。潜水艦には乗っていなかった。はじめは歓喜の涙だったが、それから息子は酒浸りの毎日。諍いも。で、ついに。こんなことならいっそ沈んでくれればよかったのに。金も入るし。


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きみをフィルムの中に幽閉したい

 

 

『潤一郎ラビリンス〈11〉銀幕の彼方』 谷崎 潤一郎著 千葉 俊二 編集を読む。

 

変格ミステリ傑作選【戦前篇】』竹本健治選で谷崎の『青塚氏の話』がおすすめの作品として取りあげられていた。それが収められているこの本を読んだ。

 

谷崎が一時期、映画製作にかかわっていたことは知らなかった。衣笠貞之助の『狂った一頁』の脚本家の一人に川端康成がいたことは知っていたが。

 

映画についてのエッセイを読むと当初は映画にかなり熱を入れていたことがわかる。
『『カリガリ博士』を見る』は、いま読んでも優れた論評だと思う。しかし、映画で自分のやりたいことがなかなかできなかったようだ。

 

作家は個人ワークだが、映画づくりはチームワーク。ビジネスゆえ当たらなそうなものは斬新な企画、芸術性の高い脚本であってもプロデューサーにはねられる。映画界でなまじっか成功でもしていたら、後年、大谷崎の小説は生まれなかったのだから、
ある意味、天の配剤といえるだろう。

 

さて、何作か、紹介。その変格、変態ぶりは、ヤバいっす。うまいっす。

 

『人面疽』
女優・歌川百合枝はアメリカ映画の出演経験がある。しかし、彼女が出演していないグロい作品が日本で上映されているという。映画は彼女が扮する花魁と乞食が恋愛関係になるが、花魁は彼をふる。ふられた男は恨みながら自殺。花魁の膝に腫瘍ができ、やがてそれは乞食の顔の人面疽に。彼女は映像は再編集によるでっちあげだと言うが、撮影スタッフの言によると、そうではない箇所があると。その真相は…。これ、いま、映像化してもウケると思うんだけど。


アヴェ・マリア
舞台は横浜。売れない作家であるエモリは洋館に間借りする。そこの同居人である亡命ロシア人母娘と懇意になる。彼女たちは上海で暮らすという。外国人居留区のような暮らしはハイカラでまんざらでもない。彼は原稿料をバンス(前借り)して二人に餞別として渡す。金はないが、のんしゃらんな日々。近所の外国人の子どもが風呂にはいっていないのか臭う。風呂を沸かして体を洗ってあげる。外国人の子どもの体や肌などの描写がなんつーかエロい。

 

青塚氏の話』
映画監督・中田は女優由良子と結婚する。中田は夫であり、女優の育ての親でもあった。中田は肺病を病み、須磨の海沿いの別荘で静養していたが、亡くなる。

由良子は夫の遺書を見つける。そこには、カフェで知り合った男のことが書いてあった。彼は由良子の熱狂的なファン、今でいう推しだった。男はスクリーンで見た由良子の体の特徴を話す。ことごとく当たっていて気味悪さを感じる。しまいには中田は由良子の夫だが、私はスクリーン上の女優・由良子の夫であると言い出す。


嫌がる中田を自宅まで招く。そっくりな妻に会わせると。実は精巧にできた人形。なんと十数体もあった。リアルかヴァーチャルか。複製(コピー)がオリジナルを凌駕する。編者は、解説でベンヤミンの「アウラ」を引き合いに出しているが、アイドルの語源である偶像を想像させる。


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ホモ・エコノミクスについて考える

 

ホモ・エコノミクス-「利己的人間」の思想史-』重田園江著を読む。


ホモなんちゃらというと、「ホモ・ルーデンス」byホイジンガ、遊ぶ人の意。「ホモ・ファーベル」byベルクソン、作る人の意。などがある。「ホモ・エコノミクス」を作者は、かように定義づけている。

 

「「合理的経済人」とも呼ばれ、広い意味では「自分の経済的・金銭的な利益や利得を第一に考えて行動する人」を意味している」

どんな本なのか。こう述べている。

「本書は、自己利益の主体が標準的人間像であることが当たり前になり、自由市場の擁護かそれ以外かという対立軸しかなくなっているような現代から、過去をふり返る試みだ」

「金儲けと道徳」という立場から、違うな、当時のキリスト教的な道徳から見ると金儲けは悪しきこととされていた。

「近代以前のヨーロッパでは、エゴイズム、とりわけ富や財産に関わる利益を追求するエゴイズムは蔑みの対象だった」


戦前の日本でも、金のことに固執するのは下品なこととされていたのではないだろうか。

 

ゆえにキリスト教徒の金貸しはご法度になって「変わって、「ユダヤ人の金貸し」が現われる」『ベニスの商人』に出て来る高利貸しシャイロックのように忌み嫌われていた。高利と知っていて借りた方が悪いのにね。

 

で、教会は「15世紀、「モンテ・ディ・ピエタ」と呼ばれる公的な金貸し(質屋)」を支援した。でも借りるわけだから、利子も取られる。支払いが遅れるなら、とりたてもされる。「奨学金」という名前の学生ローンとなんとなく似ている。

 

「ヒュームやスミスは、国王権力に守られた許諾制の貿易や特許会社の存在を公平性に欠けると考えていた。彼らは一部の特権層のみに閉じられた商業と産業のあり方を糾弾し、誰もが経済活動に参入できる開かれた市場と、経済的自立に裏打ちされた市民による社会を構想した」

それが現代になると「金儲け」、「富の追求」は、当然のこととなった。
いつの間にか、ぼくたちが、そういうふうに刷り込まれているのはなぜだろう。
かつて日本人がエコノミック・アニマルと呼ばれていたが。

 

先だっての岸田首相の「貯蓄から投資へ」の提示なんて、まさに一億総「ホモ・エコノミクス」化だよね。なんか違和感を感じていたが、この本を読んでその理由が少しだけわかった気がする。

 

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アメリカの影、少女マンガの影

 

 

『立ちどまらない少女たち-〈少女マンガ〉的想像力のゆくえ-』大串尚代著を読む。

2つの方向からざっくりと感想をば。

 

1.アメリカ文学が日本の少女マンガに与えたもの

 

アメリカ文学は日本の少女マンガの源流の一つであると、作者は述べる。
たとえば『キャンディ・キャンディ』。原作者と漫画家は、ルイザ・メイ・オルコットの『若草物語』、ルーシー・モード・モンゴメリの『赤毛のアン』をモチーフにしていると。作者は、ジーン・ウェブスターの『あしながおじさん』もあるだろうと。

 

残念ながら、ぼくは『キャンディ・キャンディ』はアニメ版をちらと見た程度なので詳しくは言えないが、『若草物語』や『赤毛のアン』、ローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小さな家』などアメリカ文学が日本の文学はもとより少女マンガに与えたものは、確かに大きいと思う。

 

ロマンチック・コメディの開拓者はトキワ荘の紅一点水野英子であると。
女性の視点から少女漫画を描いたという。

 

アメリカ文学からさらにアメリカのTVドラマや映画などにインスパイアされて「日本の少女たち」のためのマンガを描く。アメリカ人のキャラクターが登場し、女の子のあこがれの世界を描く少女マンガを作者は「アメリカン・ガール」と呼称している。

 

おとめチックマンガと言えば、個人的には陸奥A子。他の漫画家の作品は読んだことがないから。『たそがれ時に見つけたの』が代表作。ふんわかとしたラブコメなんだけどイラストタッチが斬新。で、描かれる登場人物のボーイ&ガールが当時人気のアイビールックだった。第二次アイビーブームが全盛。アメリカ東部の名門大学のキャンパスファッションが手本。

 

少女マンガというと大きなお目目に星がきらりといったイメージが強いが、そこに少年キャラが参入した。その代表的なものが吉田秋生の『カリフォルニア物語』であると。
ロックやドラッグ、アメリカンニューシネマなどアメリカのカウンターカルチャー
男性も女性もキリッとした吉田の絵は、ぼくには親しみやすかった。『バナナフィッシュ』なんてサリンジャーだしね。

 

2.日本の少女マンガが日本文学に与えたもの

 

吉本ばなな大島弓子論」が興味深かった。要するに吉本ばななの小説は大島弓子のマンガに感化されている、通底していると。作者が引用した橋本治の『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』からの引用。

 

「橋本は、大島作品はおしなべて、わからないところからわかったところまでを描く、ただしそこには「かなりの飛躍」があって私たちを驚かせると述べ、「わからない」と「わかった」の間を繋ぐものが彼女の作品であると言う。そこに読者を巻き込んだ一種の解釈共同体のようなものが形成される。このぼんやりとした感じが、ぼんやりとした感じのまま描かれながらも、そこになにものかを読者が読みとる共感の関係が図られるとすると、その「ぼんやりとした感じ」が―略―吉本ばななにおける少女マンガ的な特徴の一つであると考えるならば、『キッチン』から『アムリタ』に至る作品に、そのぼんやりした共感を描きながら、次第にそこからさらに広い世界へと漕ぎ出していく吉本作品の変遷を見てとることができる」

 

『キッチン』は森田芳光監督により映画化されている。まさに、少女マンガの世界を映像化した感じ。

 

作者は橋本治の『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』を参考書にしているようだ。
この本を読んだときの衝撃は大きかった。紛れもなく日本の少女マンガ評論の源流。もう一度、読まねば。


そうそう、山田詠美は確か明大漫研出身で、山田双葉というペンネームでエロ雑誌に漫画を発表していたことを思い出した。


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元祖改造人間「蠅男」―「みなさん、気をおつけなさいまし」

 

 


『蠅男 (名探偵帆村荘六の事件簿2)』 海野 十三著 日下 三蔵編を読む。著者は、

早稲田大学理工科で電気工学を専攻。逓信省電務局電気試験所に勤務しながら、機関紙などに短編探偵小説を発表」

海野十三 - Wikipedia

いわば理系の人が当時の最先端知識をベースに荒唐無稽なSFや変格ミステリを発表した。4篇紹介。

 

『蠅男』

大阪で謎の殺人事件が勃発する。共通しているのは、現場に残った臭いだった。やがて脅迫状が届く。手紙には蠅のミイラが。差出人は「蠅男」。彼を捕まえようと名探偵帆村荘六、登場。意外なことに帆村探偵、腕っぷしもなかなかのもの。安楽椅子探偵ではなかった。腕が機関銃になるなど、戦闘能力の高い蠅男に負けてはいない。追いつめては逃げられる。派手なアクションシーンの連続。蠅男は神出鬼没。

ついに、蠅男の素性が判明する。彼は蠅男の改造に関わった人たちへのリベンジのために大阪にやって来た。恐るべきマッドドクターのおぞましい「縮小人間」計画。その人体実験となった不運な男。帆村と被害者の娘・糸子とのラブロマンスが花を添える。1938年に刊行された『蠅男』。いやはやその先見性の高さには恐れ入る。

 

「みなさん、気をおつけなさいまし。深夜、あなたのお家の天井裏をゴトリゴトリとなにかひきずるような音をたてて匍ってゆくものがあったら、そいつは今天下に有名な彼の「蠅男」ではないかと、一応疑ってみる必要がありますよ。帆村荘六」(ラジオ科学社版『蠅男』巻頭の一文)

 

テレビドラマ化、ラジオドラマ化したら絶対、ナレーションにしたい。
で、今回の「蠅男」は。と続く。


『暗号数字』
帆村荘六内務省情報部事務官木村から極秘の事件の調査を依頼される。上海にあると思われる反政府団体からの暗号文書が届く。その解読をしてほしいと。暗号は虫食い算。解読のために日本中を走り回る帆村。実は、その裏には…。

 

『千早館の迷路』
遺書を書いて失踪した田川の捜索を依頼された帆村。帆村と依頼人の春部カズ子は、栃木の山奥にある「千早館」を訪ねる。その館は偶然帆村が面識のあった古神子爵が建てたものだった。在原業平の和歌「千早ふる~」から命名されたが、その句に謎が隠されている。凝りに凝った部屋を探る二人。危険な仕掛けも。地下に鍾乳洞があるなど、なんかゴシックホラー味が楽しめる。


『断層顔』
時代は30年後の1977年。帆村も齢を重ねて肺は人口肺臓を装着している。女性からボディガードを依頼される。怖い顔をした男がストーキングしていると。甥の蜂葉が助手となって行動をともにしている。彼は火星探検隊の一員だった。オチはSF。いま、実現しているのは、動く歩道ぐらいだろうか。


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