男の闇日記ならぬ病み日記 ほか

 

 

『オルラ/オリーヴ園 モーパッサン傑作選』モーパッサン著  太田浩一訳を読む。
モーパッサン、初読かも。虫食い読み、世界文学。


ラテン語問題」「オルラ」 「離婚」 「オトー父子」 「ボワテル」 「港」 「オリーヴ園」 「あだ花」8篇の短篇集。何篇かのあらすじや感想を。

 

「オルラ」
男の闇日記ならぬ病み日記。日増しに心の病は悪化していく。気晴らしに「モン=サン=ミシェル」へプチ・バカンス。頑張って「岩山」に登ったりする。旅を終えた頃は良くなったかに思えたが、再び、元の状態に。陰々滅滅なのは家が取り憑かれているから。誰かが「私」の水を飲んでいる。わからない。気分転換で今度はパリへ。観劇などを楽しむ。帰宅。庭を散歩して「薔薇の花壇」で開花した薔薇がちぎられ、「宙に浮いている」。男は誰かを「オルラ」と命名する。「新しい生き物」だと。男は「オルラ」を殺そうとする。すべては狂人の「妄想」なのか。著者が見えたものをそのまま書いたのか。ラブクラフトの「インスマウスの影」を彷彿とさせる。

 

「離婚」
離婚訴訟で名高い弁護士のボントランの元へ「新しい依頼人」が現われる。男は公証人をしていた。新聞広告で「250万フランの持参金つき結婚希望の女性」を知る。彼はひどい金欠病で脳裏に「250万フラン」がちらついて離れない。男は女性に引き合いがあったことを手紙で知らせ事務所に呼ぶ。レストランで夕食、女性の身の上話なども聴く。酔った勢いで彼女を口説き、一夜をともにする。責任を取るとかで女性に求婚。結婚する。貧乏暮らしとはおさらばした彼は公証人を辞し、悠々自適。結婚生活は万事順調だったが、妻が無断外出する日がある。気になった男は後を追うと。なんと彼女には…。あ、彼女は宇宙人とかそういうオチではござんせん。心温まるヒューマン・コメディ。


「オリーヴ園」
ヴィルボワ神父は「プロヴァンス地方の小さな漁港」の村で「20年間司祭」をつとめていた。かつてはイケメンのヴィルボワ男爵としてブイブイいわせていた。若い女優に惚れてしまい入れあげる。彼女は妊娠する。でも父親はヴィルボワ男爵でないと。ショックを受けてさまよう。信仰のみが心の傷を癒してくれ、「聖職者」の道へ。

そこへ汚らしい若者が。別れた女性の子どもだと名乗る。事実を知ったヴィルボワ神父。それにしてもろくでなしの若者。諍いの挙句。ほろ苦いヒューマン・コメディ。

 

「あだ花」
美貌で知られる「マスカレ伯爵夫人」。伯爵は世間的には「申し分のない夫、よき父親」だった。しかし、夫人はそうは思っていなかった。ある日、長年積もった思いを遠慮なく夫に言う。「わたしはただ、11年前からあなたに押しつけられている、出産という耐えがたい責め苦から解放されたいだけなのです」「30歳で、子どもが7人もいるのですよ」など厳しい言葉が。現代にもまんま当てはまる。ワンオペ育児とか。
さんざ話してから恐ろしい言葉爆弾を放つ。うろたえる夫。まさか妻が裏切ったとは。6年間苦しめられる伯爵。真実を打ち明ける夫人。しかし、疑心暗鬼は止まらない。男社会に負けるものかと抗う夫人。衰えぬ美貌は女の意地か。著者が病気でなければ面白い長篇になった気がする。ある意味、フェミニズム文学のさきがけともいえないだろうか。


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やりきれない

 

魂の労働―ネオリベラリズムの権力論

魂の労働―ネオリベラリズムの権力論

  • 作者:渋谷 望
  • 発売日: 2003/10/01
  • メディア: 単行本
 

 「魂の労働―ネオリベラリズムの権力論」渋谷望著を読んだ。よくまとまっていて、読みやすい。オツムのいい大学生または院生が書いたようなデキのいいレポート。が、読了直後の印象。あ、誉め言葉、これ、一応。ちょっと引用。

 

「国家が「退場」した後、いったい何が残るのか。あらゆるマクロ的な権力は消散し、われわれは幸福な「ポストモダン」や、退屈な「成熟した近代」の団塊へと移行したのだろうか。」

 

例の「小さな政府」、それまでの福祉など国が面倒みるという大きな政府がやりきれなくなって、民活分営化、企業でいうところのアウトソーシング地方自治体への権限や地方交付税の委譲など、企業でいうところの分社化、独立採算制。
聞えはいいけど、実際は、どうなのか。過渡期なのですべてが及第点ではないと見る人もいて当然だ。しかし、なあ。

 

「しかしここで重要なのは、リスク社会においては、リスクを人為的な努力で完全に抑圧し、否認することはできるというかつての幻想は捨てねばならないという認識である。換言すればリスクは原理的にコントロール不可能なのである」 

 

以前、ニュースでどっかの保育園で園児にミニサイズの催涙スプレーを携帯させ、
それがはずみでストッパーかなんかがはずれ、噴霧され、騒動となったそうだ。
変質者に出会う確率と催涙スプレーが誤作動する確率は、どちらが高いのか。

 

「現在、「自己責任」―「リスクを受け入れよ」―のスローガンとともに若者に向けられるメッセージは、明らかに矛盾したダブルバインドのメッセージである。それは一方で「自分の将来や老後を自分で備えよ」(=「国や企業に頼るな」)である。しかし同時に発せられるのは「あらゆる長期計画(=長期安定性)を放棄せよ」である」

 

 

まさしく、その通り。ネオリベラリズムお得意の「自己責任」なんだけど、いかに虫のいいものであるか。言葉の上じゃいいように思えるが、実際のところ、地金が見え出してきているのではないだろうか。少子化にしろ、年金制度にしろ、これじゃあなあ。
やみくもに「気合だ」とか「走れ!走れ!」とかいわない一昔前の無能な高校野球の監督とおんなじ。

 

「年齢は、階級、ジェンダーエスニシティと並んで、近代社会において、個人の社会的地位を表わす重要なカテゴリーであり、それゆえ社会的アイデンティティを形成するコアの一つであった。その大きな理由は、子供→大人→老人と-略-人の一生を段階的に区切り、それぞれの段階に位置する人々に、その段階に応じた役割を課すことを可能とする客観的な指標であったことにある」

 

「しかし、年齢規範を基礎付けていた近代的ライフコースの揺らぎによって、「若者」や「青年期」」の概念もいまや安定性を欠くものとなっている」

 

本業で黄金のセカンドエイジなんて原稿を書いたりしているが、
団塊の世代までなのだろうか、いわゆる勝ち逃げ、もらい逃げは。

この

「年齢カテゴリーとそれに基づくライフステージの溶解は、コントロール社会の徴候の一つとして理解することができる」

すなわち、かつてはゲバ棒をふるったり、「カウンター・カルチャーの発火点であった青年(若者)」の反骨心を去勢することに成功したと。「しかし、年齢に基づく敵対性はほんとうに消滅したのだろうか」と述べている作者にハゲ同。

年金不払いや非婚、非出産などは、カタチを変えた「敵体性」行為なんじゃないかな。
意識している、していないは別にして。

 

社会保障費の歯止めのない増大の原因であると同時に、労働者の実質上のサボタージュの口実ともなりうる<健康と病>の“二元論”を脱構築することを狙う健康戦略は、ポストフォーディズムの戦略に適合的であろう」

 

「病という状態に陥り、治療を求めることはもはや贅沢となりつつある。とすれば、人は病に陥る前に、日常から予防しなければならない。「ライフスタイルによる病」(生活習慣病)という新規な概念が浮上するのも、日常生活が病の予防的介入の場になるというこのコンテクストにおいてほかならない」

成人病が生活習慣病と名前が変わってメタボリック・シンドロームとかいわれるようになった。健康ブームは、衰える気配はまったくない。その裏で、病気になる権利、死ぬ権利を掠奪されようとしているとは。大きな権力の巧みさを感じてしまう。

 

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オオサカといえばなおみ、ぼくの場合、最近オオサカといえば圭吉

 

死の快走船 (創元推理文庫)

死の快走船 (創元推理文庫)

  • 作者:大阪 圭吉
  • 発売日: 2020/08/12
  • メディア: 文庫
 

 

『死の快走船』大阪圭吉著を読む。
鮎川哲也編『怪奇探偵小説集1』で大阪の『幽霊妻』を読んだのが最初。

 

作風の異なる15の作品。ピッチャーなら七色の変化球というが、作家はどういえばいいのだろう。推理小説ならオチの冴え。獅子文六も真っ青なユーモラスな人情もの、岡本綺堂も真っ青な捕物帳など小説巧者ぶりが堪能できる。何篇か紹介。

 

『死の快走船』
岬の先端に立つ白亜の館。「主人のキャプテン深谷」は趣味のヨットでクルージングに出て殺された。そのむごい殺され方。事件の解明にあたる「私」と「水産試験所の東屋氏」。すばらしい結末。王道の探偵小説。

 

『水族館異変』
「水族館のパノラマ室」で水中を人魚のように潜水する女性二人と「香具師(やし)の男」。潜る女性のしなやかな肢体。三角関係のもつれ。伏字がいやらしさをあおるエロティックで凄惨な話。江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』の世界を小ぢんまりにしたような。

 

『三の字旅行会』
「東京駅の赤帽の伝さん」には気になることが。決まって「東京駅着午後三時の急行列車」の「三等車」「三輛目」で降りる女性たちがいる。彼女たちを出迎える手荷物を持つ男。男は『三の字旅行会』の「案内人」だった。そのいわれを聞かされる。ところが…。なんとなくホームズの『赤毛同盟』を思い出した。

 

『愛情盗難』
宇津君のアパートの同居人に「香水婦人」と呼ばれる人が。たおやかな貴婦人然としている。偶然同級生と再会して泥酔。部屋を間違え「香水婦人」の部屋で寝込む。はたと気がつくと「香水婦人」が。あわてて隠れる。「香水婦人」が大切にしていたものが盗まれる。当然、嫌疑は宇津君に。「香水婦人」の正体は。盗まれた大事なものは。

 

『氷河婆さん』
舞台はアラスカ。「ユーコン川上流の洞窟に」住むエスキモーの老婆。正気ではないと噂されていた。「私」が寄ると顔立ちが似ているせいか、しまいには身の上話をしてくれる。アラスカのゴールドラッシュで白人たちに翻弄されたエスキモーたち。ひどい仕打ちを受ける。鬼畜米英、黄色人種同士気分は連帯したのか。

 

茂田井武松本かつぢなどが描いた雑誌掲載時の挿画が作品に花を添えている。

小野純一の解題によると、戦時下、探偵小説はエロ、グロ、ナンセンスと並列して
国民の戦意高揚意識に水差すものと見られかねなかったそうだ。それから作者自身が「本格探偵小説」の枠から出たかった意向もあったとか。


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「二項対立」には眉唾(まゆつば)と「アイロニー」で

 

 

「「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言」仲正昌樹著の読書メモ。

 

あれか、これかとすぐ判断や踏み絵を求められるいま。
保守-革新、大きな政府-小さな政府、禁煙-反禁煙、ジェンダーフリー-反フリージェンダー、唯心論-唯物論、犬派-猫派、ウヨク-サヨクなど枚挙に暇がないほど。

 

何も白黒つけるんじゃなくて、両者の妥協点、一致点はあるはずなのに。
でも、それには、議論を重ねるなどお互いの歩み寄り、時にはすり合わせが必要で、
時間がかかる。勉強もしなきゃならない。かつての修正資本主義のようなものか。
どうもこの歩みよりも、談合みたいにとられがちで芳しくない現状。

 

IT時代なんだから、即座に、一言で決めなきゃ。
そうすれば、指導力がある、判断力があると、みなされる。
だからかつての小泉総理が一言(いちげんじゃなくてひとことと呼んで)居士なのも、
分かりやすく、TV用としてはきわめてウケがいいのだろう。

 

作者はちょっと待てよという。

右よりの雑誌の鼎談に参加したからってなんで魂を売り渡したようにいわれなきゃいけないんだと。ぼくもそう思う。

 

そしてその「二項対立」をブレークスルーする一つの手立てが「アイロニー」であると。

 

「「戯れ」と「真面目」の中間に漂い続けるロマン主義アイロニーは、二項対立的に硬直化している思想状況を捉え直すうえでためになる、と私は思っている。正面“敵”とマジで対決し続けている限り、なかなか気づきにくい“敵/味方”双方に共通する、論理的な必然性のない非合理的な思い込みを、対決の前線から少し引いた位置から描写することによで、その滑稽さをアイロニカルに見つめる姿勢が時として必要である」 

 

その昔、大学の自治会のサヨクのオネエさんが、講義前にアジ演説をブチに来て、
止せばいいのに、へらへらと意見したら「茶化さないで」とエライ剣幕で怒られた。茶化す気は、毛頭なかった。

どうもへらへら意見は、頭の硬化した人や一途なイデオローギッシュな人たちには、
茶化しやアイロニーと受け取られがちで、まったくもって旗色が悪いまま。

 

アイロニカルな視点は作者いうところの「批評」にはなくてはならないもの。

ただ作者の唱えるアイロニーシニシズムの違いがイマイチよく判らない。

 

「「哲学者」を自称する人々の多くは、「哲学する」には書物(エクリチュール)を通して得られる予備知識は本質的には必要ではなく、何もないところで自分自身と内面的な対話をしながら思考を進めていくのが哲学本来のあり方だと主張したがる傾向がある」

「哲学者は-略-「自分自身に内在する言葉」を求める。言ってみれば、死んだ文字(エクリチュール)」ではなく、生き生きした語り(パロール)を志向するわけである」

 

生き生きしたエクリチュールに対しては、作者は「分かりやすさ」同様、気をつけろといっている気がするが、「生き生きした語り(パロール)」は是認している。で、分かりやすくいうとどうなるの。

 

「ポスト・プラトンの哲学者たちは、不純物を多く含んだ劣化コピーとしてのエクリチュールの悪影響を可能な限り取り除くことを通して、私たちの「内面」における本質的な思考を忠実に再現できる“生きた言葉”を見出そうとしてきたのである」

エクリチュールの曖昧さ、いい加減さは、ふだんの生活の中でも体験していることだ。
しかし…。

 

「「弁証法=対話」というのは、まさに他者との「記号」を介したやりとり(=エクリチュール)」を通して、自己の内面における思考を練り上げていくプロセスである」


ヘーゲルも、「ヘーゲル弁証法をひっくり返したマルクス」も、要するにこの「呪縛」から解かれてはいない。はじめにパロールありき。それをいわば保存する、記録するためにエクリチュールが考案された。なのに、書物が第一シードなのは、ちゃうやんか。ということなんだろう。

 

「何もないところで自分自身と内面的な対話をしながら思考を進めていく」というのは、考えるだに、恐ろしい。丸腰で獣と闘うようなものだから。知識の贅肉を削ぎ落として。片方の眉毛を剃り落として山ごもりした大山倍達の如きものを想像する。

ゆえに脱構築なのだろう。なんとなくわかる気もするが、堂々巡り。

 

関連レビュー 『アイロニーはなぜ伝わるか? 』木原善彦

soneakira.hatenablog.com

 

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言葉にできるものと言葉にできないもの、そのはざまで

 

理由のない場所

理由のない場所

 

 『理由のない場所』イーユン・リー著 篠森ゆりこ訳を読む。

16歳で自死した息子。鬱病から自殺未遂をしたことのある母親。
対象喪失を乗り越えようとしたのか作家である母親はこの作品を書く。
私小説ではないが、事実をどう昇華させて小説にするのか。


母と息子・ニコライとの会話、対話のみで成り立っている。こんな感じ。一か所引用する。

 

「もし死を友達リストからはずしたり、死のフォローをやめたりできないなら、人生も同じはずじゃない?
ぼくは人生を友達リストからはずしたんじゃないし、人生のフォローをやめたわけでもないよ、
ママ。もしそうしてたら、ぼくは見つからなかっただろうね。こうして話もしてなかった」

 

延々と続く対話。一般的な母子ならば、これほど深い会話はしないだろう。
16歳の息子は思春期ゆえ親との口数だって少ないだろ。少なくともぼくはそうだった。

 

小説は文字の集合体だから、量が求められる。
生前の息子とのエピソードを生かしたところもあるだろうが、
あくまでも虚構、フィクション。
話せなかったこと、話したかったこと。
聴かなかったこと、聴きたかったこと。

 

作者は中国で生まれ育ち、留学でアメリカへ来た。
そして英語で小説を書くようになる。
母国語を捨てた。アメリカに来て16年後に「アメリカ国籍を取得」、アメリカ国民になった。

多和田葉子は、日本語でもドイツ語でも小説を書くが。

 

息子はアメリカ生まれ、アメリカ育ち。いわばネイティブ。
英語のニュアンスや言い回しのやりとりからセルフアイデンティなどで
語り、議論する。
先天性と後天性の対比がかなりロジカルに展開、ページを割いている。


訳者あとがきから引用。

「リーは、「うまく言葉にできない物事」を語るためにこの小説を書いているのであって、現実を受け入れることに努めようとしているわけではない。たとえ語り得ないことだとしても、語らずにはいられないから書いている」

 

冒頭で対象喪失を乗り越えようとしたと書いたが、違ったようだ。

息子の自殺をテーマに新たな表現方法を試みる。作家稼業の業さの深さを痛感する。

 

「「うまく言葉にできない物事」を語るためにこの小説を書いている」

 


そうかもしれないが、行間からは哀しみや未練がにじみ出ている。


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変わった?変わらない?

 

“フェミニン”の哲学

“フェミニン”の哲学

  • 作者:後藤 浩子
  • 発売日: 2006/04/01
  • メディア: 単行本
 

 

「<フェミニンの哲学>」後藤浩子著を読んだ。

「はじめに」でこんな文章と遭遇する。

 

「「フェミニズムって何ですか」―これは、簡単なようでいて、私にとってはもっとも手ごわい、いつも答えに窮する質問である」

 

 きっぱり答えられて誰もが納得するものだったら、巷で騒々しい論争は起こらないだろう。

 

「仕方なく、私はG.C.スピヴァクの著書のタイトルをそのまま借りて、「別の諸世界(イン・アザー・ワールズ)に立ってみること」と一言で答えるのだが、このような説明で、理解と納得を示す人はほとんどいない」

 

宇宙から地球を見る。未開文明から近代文明を見る。彼岸から此岸を見る。

 

ピエール・クロソウスキーは、無償の贈与こそが、実は価値が生まれる原初的な構造を作り出すものであることを指摘している」

「私たちはこの設定を「母」への考察へと転用できるだろう。受け取らないために与える絶対的贈与者(=母)と、受け取る能力にしたがって受け取るが、受け取ったもの以上のものを返せない享受者(=子)との間に根源的な非対称性(言い換えれば、交換不可能性)がある。この非対称性によってこそ、絶対的贈与者の価値が享受者の側に発生する。絶対的贈与者は、受け取らないために与えるその能力によって、逆に価値あるものとして大きくなるのである」

 作者は、レヴィ=ストロースの(あるいはバタイユ)「交換」を拝借しているが、考えさせられる。育児が無償、無辜の贈与、すなわち見返りを求めない行為であったはずだが、昨今はハイリスク・ハイリターンのような投資のごとき子育てが蔓延しているのは、仕方のないことなのだろうか。

 

母は絶対的贈与者か。最近、このポジションを奪わんと家庭に入る父が増えているらしいが、どうなのだろう。会社で閑職に追いやられて時間が余っているなら、本でも読んだり、バイトでもしたほうが家族のためという気がする。家庭に母は二人は要らない。じゃあ、キャンプに子どもを連れて行って夜、星座を教えてあげるって、それはどうもTVCMの絵空事のような気がしてならない。素晴らしいとは思うが。

「母親とこの間だけではなく、人と人の間には、非対称性(交換不可能性)を孕みつつ贈与に向う連動があり、それゆえに欲望、価値、駆け引きが生み出される。この意味で、これらの贈与は、根源的な生産なのである。家族に法的な意味での拘束性ではない何らかの凝集性があるとすれば、それは贈与の連鎖がもたらす負債と返礼の駆け引きの所産である」

 

「贈与の連鎖」か。直観だけど、この本のタイトルが違うかも、それで損してるかも。

 

「エロティシズム探求の途上でバタイユレヴィ=ストロースに出会い、一つの手掛かりを得たのだ」
「しかし、バタイユレヴィ=ストロースの「娘の交換」の展開の仕方にある不満を覚えた」

「人間のセクシュアリティとはこのような禁止の侵犯と性の横溢への欲望だが、バタイユは、このようなセクシュアリティこそ、「人間が物に換言されることに最大限抗っているもの」なのだと捉える。禁止の侵犯と性の横溢によって人間は「動物」となる。こうして、人間は物の相と動物の相を行きつ戻りつする。これがエロティシズムの構造なのである」

 この「動物」の概念も、動物化の動物とは意味するものが違うんだよね。

 

「近親婚の禁止は、渇望の対象としての女性をもたらす規則なのである。しかし、それが交換の原理、つまり労働力としての女性の分配を保障する原理としてのみ解されることによって、結婚そのものから、エロティシズムの契機が締め出されてしまう」

 

  バタイユ曰く

「女性はもっぱらその子供を産む能力と労働力という意味をもつようになったのである」

 

つまり、近代・現代の女性は、産む性、育てる性、働く性とみなされる。そのことを親や先生からの教育により刷り込まれる。なら、反対が産まない性、育てない性、働かない性。それが、「人間が物に換言されることに最大限抗っているもの」ってことになるのか。

 

この本は10のテーマからなる。シングル曲を集めたアルバムのような論考集である。
時折、意図しているのか、変拍子のものもあって、それがぼくには魅力となっている。
作者の今後のテーマの種子のようなものである。どこがどのように発芽し育っていくか。

作者は、ジェンダー論ではなく「マイナー哲学であり続けることを志向する」フェミニズムに、拘泥していくと最終段落で述べている。

 

まとまらず。2006年に書いたレビューだが、状況は今でも変わっていないようだ。

 

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妖怪人間と怪獣

 

 

YouTubeで『妖怪人間ベム』を見るのが、最近の楽しみ。
子どものとき、見ていたのだが、改めて見ると、かなり怖い。
ここ数年好きになってゴーストストーリーをいろいろ読んでいるが、
そのあたりを踏まえてまあ良くできている。
「早く人間になりたい」がキメの台詞だが、ならない方がいいんじゃないかな。

 

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『SFショートストーリー傑作セレクション 怪獣篇 群猫/マタンゴ日下三蔵編を読む。お目当ては『マタンゴ』。昔、レンタルビデオで見たが、原作はどうなのかと。以下、短い感想などを。

 

『群猫』筒井康隆
はじめに都会の全景。とある高層ビルからどんどん地下に下る。短いフレーズによるリズミカルでテンポの良い描写。いちばん底の世界。下水道。そこは人外魔境化している。支配者は「巨大な盲目の白い鰐バクー」。仲間を食われた「白い盲目の群猫」が
延々とバトルしている。戦闘シーンは『ガンバの大冒険』を思わせる。もっとも、『ガンバ~』は、ネズミたちとイタチのノロイとの戦いだけど。
実際に毛細血管のような都会の下水道では何かがはびこっていたり、戦っていても不思議ではない。

 

『仕事ください 』眉村卓
ドラえもん」がほしいと思ったのは、ぼくだけではないだろう。この作品では「奴隷が欲しい」と思ったサラリーマンにほんとうに奴隷が来た。律義な奴隷はご主人様であるサラリーマンに次々と命令をお願いする。そのしつこさ、過剰さ。確かにモンスターだ。やけくそとなってとんでもないことを命じる。最後のシーンがもの哀しい。


『弱点』星新一
漁師が引き上げ、研究所に運んできた「白い大きな玉」。「宇宙生物の卵」と見当をつける。玉が割れると「醜悪なヘビ」状の生物が。煮ても焼いてもビクともしない。
そして次々と卵を産む。宇宙へ捨てることを考えるが、宇宙船製造には時間がかかる。
弱点はないのか。あった。そのオチがきいている。SF好きな落語家の新作落語のよう。

 

マタンゴ福島正実
編者解説によると「ウィリアム・ホープ・ホジスンの短篇『闇の海の声』を翻案したもの」だそう。
嵐でヨットが流されて南の島に漂着した6人の男女。人はもちろん鳥や虫もいない不気味な島。難破船を発見する。そこにはコケではなくキノコが繁茂している。難破船で食糧を見つけるが、次第に食べ物がなくなってくる。仲間割れ、いさかいが始まる。食べ物がない。キノコがある。食べてはいけないキノコだった。
幻覚作用のあるキノコもあるが、マタンゴを食べた男女にはどんなおそろしい副作用が。

 

『黴』小松左京
宇宙から地球各地にやってきた謎の物体。「落下した跡」はあるが、隕石ではない。
霧のような「白煙」のような塊から「煙を吹き出し、トラックをとかし、とかした鉄を吸いこんでいる」。周辺には「刺激臭と熱気」が。謎の物体は「増殖」する。どうなる、地球。短篇だけど作者らしい大スケールさが楽しめる。

 

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