宇宙犬クローカとともに消えた宇宙飛行士イワン・イストチニコフ。実は…

 

スプートニクスプートニク協会+ジョアン・フォンベルク 菅啓次郎訳を読む。

 

ソユーズ2号について知っている?では、イワン・イストチニコフはご存知かな?「知っている」と答えたあなたは、かなりの宇宙飛行士マニアかロケットおタクだ。

 

本作は、ソ連アメリカが激しく宇宙開発競争を展開していた時代、ソユーズ2号に搭乗し、宇宙犬クローカとともに消えてしまったイワン・イストチニコフ大佐の生涯を克明に綴ったものである。

 

なあんて真っ赤な偽(フェイク)ノンフィクション。なんだけど、微に入り、細に入りよくできている。肖像画、ロケットの写真、切手コレクション、イワン・イストチニコフの幼年時代に描いたとされる絵画、授与された勲章、結婚式の写真、宇宙飛行士の同僚との写真、宇宙飛行に関するメモなど、圧倒的な資料で、フィクションだとわかっているのに、いつの間にか、書いてあることが、真実のように見えてくるから不思議だ。

 

「嘘も繰り返しつくと本当に思えてくる」。映画で言うなら、『ブレアウィッチプロジェクト』のようなリアリティのあるフェイクの丹念なまでの重なりである。アーティストである著者の術中にはまってしまった。

 

荒俣宏氏の解説によると、作者は、『旧ソ連宇宙計画史』オークションで、山のように出品されていた古写真、身分証明書などから本作のコンセプトをひらめいたようだ。ロシアというのが、いまだにどんな大事件が隠蔽(いんぺい)されているかわからないしね。

 

特筆すべきは、イワン・イストチニコフ大佐と宇宙犬クローカとの記念すべき宇宙遊泳のシーン。なんともいえずチャーミングである。


図版だけでも、楽しい。ロシア構成主義にかぶれていた頃を思い出させた装丁も素晴らしい。ちなみに本物のソユーズ2号は、無人宇宙船とか。当然、犬も乗っていなかった。


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短命に終わったワイマル文化の全貌とは 

 

 

 

『二十世紀思想渉猟』生松敬三著を読む。    

 

第一次世界大戦後のドイツ。ワイマル共和国が樹立する。時は1920年代。俗にいうところのワイマル文化が花開く。

 

カンディンスキー、グローピウスなど名だたる芸術家、建築家が教授をつとめ、モダンデザインの礎を築いたバウハウスダダイズム、キャバレー(同名のライザ・ミネリ主演のミュージカル映画があるが、この時代の世相や風俗がうかがい知ることができる)。

 

さらに「ドイツ青年運動」。というとなじみがないが、別名「ワンダーフォーゲル」というと、大抵の人が「あ!」というだろう。山野を歩き、心身を鍛える運動も、この時代に全国的な運動として広まった。

 

本書で最も印象に残ったのは、ジンメルが展開していた「生の弁証法」も、フーゴー・バルがキャバレー・ヴォルテールで夜な夜なパフォーマンスを繰り広げていたダダも、出所は、同じカント批判であったということ。

 

「19世紀を支配していたカントの『主知化』『合理化』『歴史主義』」の帰結にほかならない」とペーター・ヴーストは『形而上学の復活』で述べている。カントに象徴される合理主義が第一次世界大戦の元凶の要因ともなったようである。その振り子の反動が、対極的に向かうのも当然のことであろう。

 

人智学を唱えたルドルフ・シュタイナーに、カフカが会いに行ったというエピソードも、興味を大いに抱かせた。

 

しかし、敗戦国となったドイツのルサンチマン(私怨)は、時代の振り子を再び不幸な戦争へと向かわせるのである。

 

本書は1920年代ドイツの文化、科学、思想、芸術などについて知的好奇心の赴くままに綴られたものである。各章が寸分の隙(すき)もなく、きちっと構成されていない、その緩(ゆる)さが、読む者に、散策しているような楽しさを与える。

 

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意味がないことに意味がある。ナンセンスには、センスが要る

 

        

『ハルムスの世界』ダニイル・ハルムス著 増本浩子訳 ヴァレリー・グレチュコ訳を読む。

 

なんだかロシア文学を読むことが多い今日この頃。「ロシア文学」っていうと、暗い、重い、長いって印象だが、作者は、不条理、ナンセンス、シュールな笑いが作風で、しかも短いと。


ロシア・アヴァンギャルド」の文字を目にすると、リシツキー、ロドチェンコ、カンディンスキーなどが浮かぶ。彼らはアート系。文学系だとマヤコフスキーとか。そこに著者がいたとは知らなんだ。


突然変異か。試しに何篇か読み出すと、いやいや、これは。好みではないか。1930年代に書かれた作品なのに、なんてナウなんだ。びっくり仰天。訳者解説によると「今日ではハルムスは、ベケットやイヨネスコのような作家たちの先駆者とみなされている」
そうだ。

 

スターリン体制では、インテリゲンチャは、突然、逮捕され、裁判にかけられ、刑務所かシベリア収容所送り。カフカの『審判』のようにだが、こちらは現実。

 

コミュニケーション不全、人間不信にもそりゃなるさ。自ずと人間の本性にも毒づきたくなる。

「ハルムスは、スターリンの恐怖政治のまっただなかにいたのだ。そうでなくても恐ろしい環境で得たこのような認識は、生きる力を失わせるほど恐ろしいものだった。恐ろしすぎて笑わずにはいられないほど、恐ろしいものだったのである。笑いは、死ぬほどの恐怖に直面した人間にとっては一種の自己防衛の身振りであり、発狂寸前にまで追い込まれた思考をいったん停止させることによって、生き延びることを可能にしてくれる。笑いはおそらく、絶望的な状況から抜け出すための、唯一のまっとうな手段なのである」(「ハルムスの作品世界―無意味さの意味」)

 

「思考をいったん停止させる」ことは、フッサールいうところの「エポケー」と近似値ではないだろうか。


作者は詩も書くし、童話も書くが、子どもは苦手、嫌いだったそうだ。それは、たぶんに、彼が子どもっぽい一面があったからだろう。


二度目の逮捕の時、妻の機転で原稿の入ったトランクは友人に渡され、やがてコピーが国外へ。前途を悲観した彼は笑うこともなく。


「ハルムスがソ連国内でも公に認められるようになったのは、ゴルバチョフペレストロイカ以降のことである。ハルムスはあっという間にカルト的な人気作家となった」
(「不条理文学の先駆者ダニイル・ハルムス」より)

 

キングオブコント」あたりでコント師に演じてもらいたいコントもある、マジで。

 

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流行は野火のように広がる

 

 

『ティッピング・ポイント いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか』マルコム・グラッドウェル著 高橋 啓訳を読む。

 

ティッピング・ポイントとは「あるアイディアや流行もしくは社会的行動が、敷居を越えて一気に流れ出し、野火のように広がる劇的瞬間のこと」。そして、そうなるためには「ちょっと正しい場所を押してやれば傾く(ティップする)」ことだそうである。

 

読むまでは、ビジネス書やマーケティング書のカテゴリーなのかと思っていた。まあ、そのジャンルであるには違いないのだけれど、ティッピング・ポイントの具体的な事例が、かなり方向性の異なったものが集まっていて、興味深い。


「ハッシュパピー」「ニューヨーク市犯罪の低下」「セサミ・ストリート成功の秘訣」「梅毒感染の謎」「落書きと無賃乗車」などなど。

 

改めてマス広告ではなく、クチコミ伝染(バズる)の威力を思い知らされた。社会をつなぐコネクターやメイブン(通人/まあ世話好きなおタクってとこかな)などティッピング・ポイントへ導くメカニズムも紹介しているが、このあたりは従来のマーケティングの流行のメカニズムー流行先取り層(インフルエンサー)から一般層へトップダウンしていくというピラミッド型の図形ーと似ていなくもない。

 

深くうなづいたのは、グラヴィターの著作を引用した一文、「弱い絆の強さ」である。これはどういうことかというと、「新しい職を探すことになったときは、あるいはそのために新しい情報や新しい視点が必要になったときー強い絆よりも『弱い絆』のほうが重要になる」。あたってる!と、思った。ぼくの場合、弱い絆に随分と救われてきた。

 

大きな変化という成果を生み出すのに大きな力はいらない。ツボどころをおさえた小さな変化で十分だという。それがわかれば、苦労はいらないつーの。


ビジネス書は、ちょっと…。というあなたにも、楽しくページが進むはず。    


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脳のOSが異なるそうだ、大人と子どもは

 

 



『子どもの脳が危ない』福島章を読む。

 

残虐さを増す一方の少年犯罪など、未熟化、荒廃化する子どもの心、たぶん。子どもがキレる原因は親の躾(しつけ)や先生の指導に問題があるのではなく、胎・乳児期の脳障害にあると精神鑑定医として著名な作者は、言う。

 

「(1)環境ホルモンという化学物質による、脳そのもの(ハード)の変化があり、さらに(2)情報環境変化による脳の働き方の基本システム(OS:オペレーションシステム)の変化がある。そこに(3)さらに現代的な多様な問題をもたらす情報の氾濫がある。この三つが、現代の子どもたちの心の問題の骨格をなしているのである」と。

 

(1)、(2)の一例を挙げるならば、妊娠中の母親の流産予防のための黄体ホルモン製剤。その副作用により、「胎児の脳の形成に異常が起こり、その子どもたちが少年少女となってから高い攻撃性を示す」そうだ。母乳に含まれているダイオキシンなどに代表される環境ホルモン(内分泌撹乱化学物質)も、子どもの脳の形成に多大な影響を及ぼしている。

 

(3)に関しては「暴力場面の多いアニメーション番組、低俗なバラエティ番組など子どもの人格形成や価値観の形成に好ましくない番組が氾濫している」。テレビやテレビゲームなどメディアの、未成熟な脳に対する刺激の強さを、警告している。

 

また、この脳障害が知能は正常だが、学習に障害があるADHD注意欠陥多動性障害)児を引き起こし、そのことへの周囲の認識不足からいじめが生じ、やがて学級崩壊に進むとも。

 

最後に、「さまざまな個性と才能の発見・育成には、教育者の意識改革と教育現場の抜本的な変革が必要である」と結んでいる。

 

子どもでなかった大人はいない。だから、いまの子どもたちとも、腹を割って話せばきっとわかり合える、そうタカを括っていた。果たして、作者がいうところの大人という古い脳のOSで、どこまで子どもの新しい脳のOSをきちんと理解できるのだろうか。子どもを危険から防ぐのは、他でもない大人の役目なのだが。う~む。
 


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おめでとうに、おめでとう

 

 

『おめでとう』川上弘美著を読む。

 

困る、困る、実に、困る。作者の小説は、読む人を骨抜きにしてしまう。こんなにシンプルで、こんなにあっさりしていて、読んでいる最中は、ふんわかしていて、たちまち読めてしまうのに、あとからずっしりと重たく残る。

 

散文だよね。どこかデジタルっぽい。情痴小説だよね、カテゴリーからすると。不倫とか、昔の恋人に会いに行ったり、偶然再会したり、そんな話ばっかり。

 

似たような経験なんざしていた日にゃあ、イチコロだよね。本当は、ドロドロで、いくらでもヤらしくできるのに、そこらへんを省略して、読み手に下駄を預けちゃう。その省略加減がいちだんとうまくなった。手抜きじゃあないよね。計算なのか、天然なのか、この人ってデビューの時からわからないよね。何なんだろ。

 

いつもながらの、いつもの世界。好きな人を思うだけで、胸がドキドキする、そんな気分なんてさあ、年齢とともに忘れがちなんだけど、ドキドキしました。脳髄までやられてしまいました。

 

束の間、甘酸っぱい感情にひたるのもよし。アドレス帳から消すに消せない昔の恋人になんとなく電話するもよし。所帯持ちならば、記念日でもないのに、駅前の居酒屋で、一杯飲るもよし…。なぜか登場人物の模倣をしたくなってしまうのは、果たしてぼくだけではないだろう。

 

とどのつまり、性欲と食欲しか書いてないのだけど、と書くと、ファンの方からお叱りを受けそうだが、この文字数で、人間の二大本能に対して想像させる量といったらかなりのものだと思います、ハイ。出てくる食いもんが、どれもみな、旨そうだし。

 

幽霊噺の『どうにもこうにも』なんて、新作落語にすぐ脚色して高座にかけたいぐらい出色の出来。もっとも、題名からして落語だよね。『冷たいのがすき』も、大人の恋愛というのか、若くない恋愛を描いていて、ぼくは、一人ぽっと顔を紅潮させながら読んだ。

 

しみじみだの、ほのぼのだの、まかり間違って癒しとかって誤読されてウケているのかなあ。いきなり文中に「性交」とか出てくるのも、この作者ぐらいだろ。生物学を大学で専攻していたせいなのかな。

 

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おちこんだりもしたけれど、モスクワはげんきです

 

 

『幸福なモスクワ』アンドレイ・プラトーノフ著 池田嘉郎訳を読む。


世界初の社会主義国ソ連の象徴とも言うべき首都モスクワ。孤児の少女は、その都市にちなんでモスクワ・チェスノワと名づけられた。本名を覚えていなかったからだ。父親はロシア革命の兵士。彼女は孤児院で育つ。感情が揺れ動く十代、なりゆきで結婚する。しかし、違和感が日々大きくなり、志願して航空学校に入学、女性パラシュート士になる。

 

美しい彼女は、時の人となり、たぶんプロパガンダにもうまく使われる。そこで、さまざまな男性と出会う。「行政官ボシュコ、小市民コミャーギン、機械技師サルトリウス、医師サンビキン」など。男たちにとってモスクワは何か触媒となるような実に魅力にあふれる女性だった。

 

2年後にパラシュート士を辞めたモスクワは、空き時間、街を彷徨する。彼女が見たもの、話したことから現状を垣間見せる。

 

女性版『紅の豚』のような話かと思ったら、なぜか女性作業員となった彼女は地下鉄工事現場の事故で片脚を失う。だが、彼女はアクシデントにもめげない。それどころか、さらに強く魅了的になったように思える。


男たちがそれぞれに思い浮かべる理想の国家と現実との余りにも大きなギャップ。農業の強引なコルホーズ化や反体制派は遠慮なく失職どころか、収容所送りなど、スターリン体制下の恐怖政治が描かれる。

 

機械技師サルトリウスは不眠不休で働いていたが、ついに失明してしまう。訳者解説によると彼は作者の分身ではないかと述べている。医師サンビキンは、医療の発展に貢献しようと夜な夜な死体を解剖する。死者の蘇生、そのさまがマッドサイエンティストっぽい。一方的に愛するモスクワの失った脚の蘇生手術をすりゃいいのに。


確かソ連の科学者か医師が幸福のメカニズムを解明してどっかの神経に電気ショックを与えると至上の幸福感に満たされるとか読んだことがあるが。工場、農場などの長時間の辛い労働、戦争なども最後には、この幸福ドラッグがあればハッピーとか。


にしてもだ、突如、幕となる。おいおい、モスクワは、それからどうなったんだ。
残念ながら未完だって。歯がゆい。


アニメ映画版『魔女の宅急便』 (1989)の糸井重里のコピー「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」のオマージュ、パクリっす。

 

そうか。『幸福なモスクワ』ってオスカー・ワイルドの『幸福な王子』と幸福の意味合いが似ているかも。

 

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