『からだの美』小川洋子著を読む。
鍛えられた部位は美しさを持っている。トップアスリートや棋士などで著者がフェティッシュな魅力を感じるところを書いたもの。たとえば、「イチローの肩、羽生善治の震える中指、貴ノ花のふくらはぎ」などなど。
テーマから外れるかもしれないが、ぼく的になるほど!と感じた箇所をつらつらと。ふと、ラマルクの要不要説を思い出したが。
「ゴリラの背中」
「ゴリラの大人のオス」の背中にある白い毛を「シルバーバックと呼ぶ」そうだ。それは子どものゴリラの格好の遊び場。お父さんゴリラはじっと耐えているとか。成熟したオスの証。「子は親の背中を見て育つ」というが、ぼくに、シルバーバックは、あるのだろうか。あったのだろうか。
「ハダカデバネズミの皮膚」
ハダカで出っ歯という強烈なビジュアル。なぜ、そうなったのか。「ケニアなど東アフリカの乾燥地帯の地下」で生活している彼ら。「気温の安定した地下の生活では、寄生虫の温床となる毛は」不要。たるんだたるみは、「トンネルを行き来する際、何かに引っ掛かっても皮膚が破れないために」。
「文楽人形遣いの腕」
著者が文楽人形を実際にふれたとき、背中が空洞なのに驚いた。三人の黒子によって操られる人形。まさに生きているような表情、仕草になるとき、見ている者の視界からは黒子は消えている。人形遣いの腕の腕前にかかっているのだ。
「カタツムリの殻」
パトリシア・ハイスミスがカタツムリ好きで「300匹も飼っていた」と。「イギリスからフランスへ引っ越した」ときは、「生きたカタツムリ」は検疫上、持ち込み禁止。
「乳房の下に隠して何往復もした」そうだ。また、「ナメクジはカタツムリの進化系」だそうだ。びっくり。カタツムリはかわいいと思うが、ナメクジはなあ…。自分の殻を破れとか、脱ぎ捨てろとかいうが。パトリシア・ハイスミス『11の物語』の「かたつむり観察者」にカタツムリ好きが遺憾なく発揮されている。
