「言語哲学の源流」フレーゲ→ラッセル→ウィトゲンシュタイン

 

言語哲学がはじまる』野矢茂樹著を読む。


言語哲学の源流を形作った」フレーゲラッセル、ウィトゲンシュタイン(『論理哲学論考』を発表した前期ウィトゲンシュタイン)。この3人の言語哲学が、どのようなものなのか、どんな違いがあるかが、きわめて平易に述べられている。

 

「新たな意味をもった文を無限に作ることができ、容易に理解することができるのはなぜか。―言語が有限の語彙と文法よりなるからだ」

 

平易じゃないか。でも、なんとなくわかるよね。

 

「ある文がどういうときに真になり、どういうときに偽になるのかを述べた者は、現代の言語学では「真理条件」と呼ばれます。文の意義は真理条件だと言えるでしょう」

 

この命題は真か偽か。大昔習った記号論理学の講義を思いだす。

 

フレーゲはこうして文の意味に対して意義という内包的側面を考え、そこからさらに語(固有名と述語)の意義を考えていきます」

「語の意味とは何か。それを文の意味に先立って考えておかなくちゃいけない。この当然とも思える考え方をひっくり返したのが、フレーゲなのです」

すなわち
「文の意義も語の意義が決まれば決まる」

「意義の合成原理 文を構成する語の意義が決まれば文の意義は決まる
 意義の文脈原理 文の意義との関係においてのみ語の意義は決まる」

 

ところが、
ラッセルはそもそも意義という意味の側面を認めず、指示だけで考えようとしました。ウィトゲンシュタインは『論考』において、文には意義だけを認め、語には指示対象だけを認めるという考えを提示しました」

 

語の意味の考え方をひっくり返したフレーゲの考え方をひっくり返したのがラッセル。ラッセルの考え方をひっくり返したのがウィトゲンシュタイン。ただしラッセルは『シン・ゴジラ』のように第3形態まで考えが変わっていったという。


「言語と思考に関して、二つの考え方があります。ひとつは、思考が言語に意味を与えるという考え方。そしてもうひとつは言語が思考を可能にするという考え方です。―略―『論考』の最大の特徴―哲学史上において特記されるべき特徴―は明確に言語優位の考え方を打ち出したことです」
「つまり、言語が思考を成立させるのであって、言語以前の思考という考え方には意味がない、と」

 

「はじめに言葉ありき」ってこと?

 

この本をテキストに著者の講義を受けられたら、どんなに楽しいことだろう。

 

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