「ゲシュタルト崩壊」「アスペクト(Aspekt)」<言葉を選び取る責任>

 

 

『言葉の魂の哲学』古田徹也著を読む。

 

ペーパーバックを読んでいて、はじめは意味がわからなかったのに、ある日突然、書いてあることがわかるようになったというエッセイを読んだことがある。作者の表現を借りるならば「死んだ文字列のように思えたものが、生きた言葉として立ち上がって」くる状態。

 

逆のケースを考えてみよう。それまではわかっていた文字が急にわからなくなってくる。意味不明になる。これが「ゲシュタルト崩壊」だと。

 

ゲシュタルト崩壊」をテーマにした中島敦の『文字禍』。ホーフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』を取り上げ考察していく。

 

ちなみに円城塔の作品に『文字渦』があるが、これは『文字禍』へのオマージュだったのか。知らんかった。

 

『文字禍』の主人公である老博士は、自身に起きたゲシュタルト崩壊を「自身の精神の変調と結びつけている」。あなたも同様の体験をしたら、そう思われるかもしれない。
線の集まりである文字になぜ「意味や音」は生じるのか。老博士は「霊の力」によるものだと。さらに「我々こそが文字の霊にこき使われる下僕である」と。「文字の霊」を「スマートフォン」に置き換えてもいいかも。

 

『チャンドス卿の手紙』では、博学で作家でもあるチャンドス卿が突然言語理解不能に陥った。言葉がわからない。すると、どうなる。「何かを別のものと関連させて考えたり語ったりする能力を失っている」状態になると。

 

ゲシュタルト崩壊」について考えてみたが、次は「ゲシュタルト構築」に関する考察を試みている。そこへ登場するのが、ウィトゲンシュタイン

 

ウィトゲンシュタインは、言葉の意味とは言葉の使用が生活と噛み合う仕方なのではないかと述べた後、というよりも、そもそも言葉を使うということ自体が我々の生活の一部なのだと指摘している」

 

なぜならば、

「痛みといったものを体験的に知らない人に対しては、そうした言葉が何を意味しているかを理解させることはできない」

 


確かに。

ゲシュタルト崩壊前後で、文字は変わらない。彼は<ある意味では以前と同じなのに、ある意味では変化している>という意味を指すために、「アスペクト(Aspekt)」という言葉を用いている。これを敢えて日本語にするならば、「相貌」や「表情」といった言葉に訳すのが適当だろう」

 

「彼は―略―意味のない形状や音響であったものが有意味なものに変化するという、ゲシュタルト崩壊とは逆向きの変化について、数多くの考察を行っている。たとえば、ピカソの絵画とブルックナーの音楽を例に」


ウィトゲンシュタインに影響を与えた一人がカール・クラウス

 

「クラウスがその生涯を通じて批判の矛先を向けた主要な対象は、当時の新聞ジャーナリズムであった。とりわけ、新聞の紙面に氾濫する紋切り型の常套句ないし決まり文句と、それらによって構築されるステレオタイプな言説に対して、クラウスは『炬火』を舞台に激しい攻撃を仕掛けた。ただし、その照準は新聞記事だけではなく、それを読む者にも等しく向けられている」

 

武田砂鉄の先駆的人物か。作者は、この姿勢が大事だと。要するにマスコミが好んで使う常套句は、鵜呑みにするなと。

 

「少なくとも、国籍、人種、民族、性別、政治信条等に関して、紋切り型の言葉で敵意や差別意識を拡大させる流れを黙認したり、自らもその流れに飲み込まれたりしないためには、<言葉を選び取る責任>を自覚し、これを果たすことが必要である」

 


中島敦の『文字禍』とホーフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』を読んでみることにしよう。

 

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