生成AIというものがある。文章も、音楽も、絵画も、動画も、プロンプト(ユーザーに入力や操作を促すメッセージ)であっという間にできあがるとか。思い通りに仕上げるためには、より確度の高いプロンプトにかかっているそうだ。
愛聴しているラジオ番組、TBSラジオの『アフター6ジャンクション2』。そこの人気投稿コーナーで、投稿を書いたのはAIか人かと当てるものがある。あるリスナーが「チューリングテスト」だと。そうか。とても面白く、「ギャラクシー賞」にノミネートされている。興味深いのは、どんなソフトを使って、どのような指示をしているかだ。
で、『AIとSF』日本SF作家クラブ編を読む。SF作家による「AIと人類の未来」、正しくは近未来か。「全22篇を収録」。AIが普及してどうなるのか。ちょい先の日々を知ることができる。何篇かのさわりを紹介。
『準備がいつまで経っても終わらない件』長谷 敏司著
2025年に開催される大阪万博。そこで目玉となるAIチャットボットの開発に着手していた。ところが、それと同様の製品が某メーカーから発売されるとのこと。目玉がなくなる。ミャクミャクも思わず不整ミャクに。
『没友』高山羽根子著
久しく会っていなかった友人と旅に出る。リアル旅行ではなくVR旅行。行く先はブータン。日々の細々したことは、AIが代行してくれる。いながらにして世界旅行が楽しめる。はたしてそれは進化なのだろうか。
『AIになったさやか』人間六度著
映像や音声などで故人をしのぶことがある。恋人のさやかを失くした大学生の男は、最新の対話型AIでさやかと会話している。姿は見えないが、さやかが生きているように思える。メンタルだけでなくフィジカルも求めるようになる。そして…。対話型AI搭載ラブドールって薄気味悪いと感じるか、感じないか。
『オルフェウスの子どもたち』斧田小夜著
東日本大震災や能登半島地震は天災による大規模災害だったが、東京都城東地区で起きたのは、AI(自己再建システム セルフ・リドウア)の誤作動によるものだった。「下町癌災」を取材していたジャーナリストは、オンラインで被害者の一人であるNさんから話を聞く。そのAIがつくった人造人間が、紛れ込んでいるという。
『土人形と動死体』円城塔著
魔術都市ミスルカラにあるアレグラの迷宮。持ち主であるノーシュは、「自作のゴースト・マシン」を使い、ボードゲームでは負け知らず。「竜族の長・クメヌ」は、リベンジを目論む。らしい会話を引用。
「我々は絹糸を直接生産できるわけではないが、それが文字通りの意味で蚕の魂であるとは考えないでしょう。人間とは、絹糸のようにして、死にあたってゴーストを生産するマシンであるという見方をとることだってできるわけですよ」これ、長篇で読みたーい。
作品よりも、ある意味、インパクトを与えたのが解説だった。
『この文章はAIが書いたものではありません』鳥海 不二夫著
「SF小説に現われるようなAIは人間のような意識を持っているが、そのようなAIは「強いAI」と呼ばれる。一方、現在存在するタスク処理するだけのAI技術は「弱いAI」と呼ばれる」
「人工知能研究者の夢の一つは意識をもって自律して動く「強いAI」の実現にあるだろう。しかし、現状では「弱いAI」の開発が主流であり社会的にもその方が意義深い」
「強いAI」は、「鉄腕アトムやターミネーター」。など「弱いAI」は生成AIやAI翻訳ツール・自動翻訳ソフトなど。AIを進化させることは、いわばフランケンシュタインの再来的イメージを持つが、著者はこう述べている。
「「人工知能のジレンマ」と呼ばれる現象がある。これは、人工知能が出てきたときは人工知能と呼ばれるが、社会に普及すると人工知能とは呼ばれなくなるという現象である」