ハン・ガンあたりの作品が好きな人なら、ぜひ。最後の一冊といわずに…

 

理系的

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『理系的』増田みず子著を読む。20年ぶりに新作の『小説』を刊行した作者。これまで単行本未収録だったエッセイを編纂したのが、この本。

 

はじめに引用。

 

「私は生命の謎解きを求めて、はじめは生物学を学びました。医科大学に勤めながら、生化学の勉強をしました。しかし勤めて7年目に、そこの上司である老教授が、鉄が腸内の粘膜から吸収されるのにタイムラグがあるという事実を発見するためだけに40年かかってしまった、と溜息をつきながらいうのを聞いて、生物学をあきらめ、小説家に転身しました。私はもともと小説を読んで人間の生命の謎にひかれたのです。何の進展もなく謎解きの出発点に戻ったわけです」

 

くり返しになるが『シングル・セル』に心を打たれてから作者の著作を読んでいたが、気が付くと新しい小説が出ていない。ネット検索しても情報がつかめない。

その間、作者は非常勤講師として短大で創作の指導をしていたという。

 

この本で作者の生い立ちなどこれまでの歩みや小説の考え方など手の内や胸の内を明かしている。隅田川のそばに生まれ台風で床上浸水で経験したこと。小さい頃から読書が好きで漠然とだが作家になりたかったこと。高校に進学したが、勉強についていけず中退。夜学に通い出してから勉学に励み出す。一人暮らし。昼は研究所勤務、夜は小説を書く日々。ひょんなことから10代の頃から知っていた同じ高校出身の人と結婚する。

 

下町の大家族の賑やかなお正月や一人暮らしになってからの東京の淋しいお正月。懐かしい。何せコンビニもない頃。店は閉まっていてひっそり閑としていて、作者は実家に帰るしかなかった。

 

「人間の生命の謎にひかれた」という科学の視点で書く小説。プレパラートにのせた対象物を顕微鏡で観察するような感覚かも。川や植物などの自然、家族、友人、同僚など人間の生死。ハン・ガンなどの先駆けといってもいいだろう。

 

作者は創作の上で不可欠な言葉として「テオリア」を挙げている。高橋英夫の『藝文遊記』で知った言葉だそうだ。

 

「テオリアとは、何かを見て本質的なものを感応することだそうです。それは、人間の気持ちをとてもよい感じにするものであって、創造の源になります」

 

「私は小説家ですから、小説のことだけを言います。いい小説を読んだあとの満足感はほかのどんな快楽の喜びにもかえがたいものです。よい小説を読み続けると自分もよい小説を書きたいと心を誘われます。―略―それを語らずにいられないようなテオリアを経験しているからなのでしょう」

 

理系ゆえ安部公房が好きなのはわかる。円城塔もか。北野勇作が好みとは意外だった。

あとがきで「最後の本」と書いている。そんなこと、言わないで強い「テオリア」を受けて次作を切に願う者一人である。


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