『ガヴァネス-ヴィクトリア時代の<余った女>たち-』川本静子著を読む。
『我は、おばさん』岡田育著に取り上げられていた本。
ヴィクトリア時代、19世紀の英国では「成人男性の海外移住や晩婚化」が進み、
「中産階級のレディたち」にとって嫁ぎ先を見つけるのは容易ではなかった。
また、レディにとって働くことは、体面上よろしくないものだった。労働は下々のもの。
ガヴァネスとは「住み込みの家庭教師」のことだが、この職業に就くことは
世間的にもレディのプライドから見てもよろしいものとされる唯一のものだった。
当時のいわば花形職業なんだけど、ところが、中身は薄給でいいようにこき使われる。
家庭教師は名ばかりで、子守りやお針子などいろいろやらされる。
今ならガヴァネス派遣会社はブラック企業扱いだろう。
でも良家の子女ゆえお金のことを言うのははしたない、みっともないと。
ぴったりの箇所を引用。
「サッカレーの小説『虚栄の市』の中で、ハウスキーパーのブレンキンソップは女中に向かってずばりとこう言ってのける。「ガヴァネスなんてあたしは信用しないよ。あの連中はレディに成り上がったつもりで、レディぶってるけどさ、あんたやあたしくらいしかお給料もらってないんだからね」」
かように、この本では、ガヴァネスについてがっつりと考察している。
当時の求人・求職広告も掲載されている。基本的には今のものとそんなに変わりはない。求職広告の一例
「ガヴァネスの口を求む。当方、国教会信者。基礎教育一般のほか、音楽、フランス語、図画、ダンスを教える心得あり。居心地のよいホームを望み、給料は多くを求めず」
売り込みのプロフ。
何せレディに許された、認められた職業はガヴァネスしかないのだから、競争も厳しい。こんなにいろいろできて低賃金でもOK。まさに、レディの大安売り状態。
ふと思う。これって現在の女性と労働の問題に通底していないか。
国内にいい職がなければ海外でのガヴァネスを求める人もいたとか。
「家政婦は見た」ならぬ「ガヴァネスは見た」。
てなわけで後半は「ガヴァネス文学」を取り上げている。
悪いガヴァネスやら成り上がりガヴァネスやら、いろいろ。
有名どこではサッカレーの『虚栄の市』、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』や、シャーロット・ブロンテの妹、アン・ブロンテの『アグネス・グレイ』。「貸本店のベストセラー」アントニー・トロウウプの『ユーステス家のダイアモンド』などなど。そして最後にヘンリー・ジェイムズのご存知『ネジの回転』(『ネジのひねり』と作者は表記)。
また読みたい本が増えてしまった。うれしい悲鳴ってやつ。
ここから余談。
メイドがブームになって次がバトラー(執事)。なら、ガヴァネスも来るんじゃね。
英国領バーミューダでガヴァネスの職を得たレディガヴァネス。
途中、船は大嵐に巻き込まれ、失神。気がつくと、なぜか21世紀の日本へタイムワープ。こんな話を思いついた。