新劇の巨人

 

かもめ (岩波文庫)

かもめ (岩波文庫)

 

 観てから読んだ。タイムラグありあり

チェーホフの『かもめ』は黒テントで観た。
その劇評、劇の感想はこちらで。

その13年後に『かもめ』チェーホフ著 浦 雅春訳を読んだ。
薄い本なのでさっと読めたが、ぼんやりしている。
空いた電車の往復で何回か読んだ。
深い霧が晴れるように世界が見えてきた。
女優になりたかったニーナと作家になりたかったトレープレフ。
二人は恋人同士。

湖のほとりに家の庭につくられた「仮設舞台での」トレープレフ作の劇からはじまる。
結局、失敗に終わる。
ニーナは高名な作家に熱をあげる。トレープレフの母親は女優で愛人がその有名な作家という三角ならぬ四角関係。
動揺したトレープレフは、かもめを撃ち殺した挙句、自殺未遂を起こす。
「わたしはかもめ」と言い放ったニーナへの逆恨みか。
 
2年後、ニーナが旅公演のついででトレープレフに会いに来る。
別れた二人。幸いにお互いが自分の夢をかなえる。
作家にはなれたが、ニーナを失った心の穴を埋めることができずにいる。
あこがれがいざ現実になると感じる違和感。
それは知ってはいるが、辛くて苦い。
別れても(捨てられても)未練が残るニーナの気持ちを知って彼はさらに辛くなる。
 
幕切れの衝撃がサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』の『バナナフィッシュ』を思わせる。
と、ストーリーを紹介してもこの作品はするりと逃げていく。
 
「間」がやたら多いのは意図的なのだろう。
寸止めあるいは省略化してあとは俳優や観客が好きに考えろってことなのかな。
小説と演劇の違いもある。
小説ならすべてを文字で表現しなければならない。
演劇は俳優の身体性を通じての演技もある。舞台装置や音響効果もある。

それを差っ引いても、このスカスカ感はなんだろう。
てっきりトレープレフとニーナが主役かと思ったら、そうでもない。
主役が不在もしくは登場人物全員が主役。
訳者による解説『『かもめ』の飛翔』によると
リアルな舞台やスタニスラフスキーによるきめ細やかな演出プランも、
チェーホフはのぞんでいなかったとか。
小説同様演劇でも、うまい言葉がめっからない。脱構築させたのが、チェーホフだ。
と、苦しまぎれに。
 
こんなのが参考になるかも。