『いのちへの礼儀 国家・資本・家族の変容と動物たち』生田武志著を読む。
ぼくが子どもの頃、おめでたいことがあると、飼っていたニワトリを
しめて解体して鍋などで祝っていた。
さっきまで可愛がっていたニワトリが肉となっておいしく煮えている。
ショックのあまり鶏肉が食べられなくなった人も中高年者には多いだろう。
ペット産業がブームのいま、動物は家族の一員とみなされている。
犬や猫を「うちの子」とか言うよね。
ペットフード、動物病院からペット保険まで市場は年々拡大しているはず。
犬や猫を「うちの子」とか言うよね。
ペットフード、動物病院からペット保険まで市場は年々拡大しているはず。
ペットと子どもの存在は似ていないだろうか。
ともに小さいうちは可愛い。
やがて成長すると言うことをきかなくなる。可愛くなくなる。
挙句の果てに虐待、ネグレクト。飽きたから捨てる、といった感じ。
ともに小さいうちは可愛い。
やがて成長すると言うことをきかなくなる。可愛くなくなる。
挙句の果てに虐待、ネグレクト。飽きたから捨てる、といった感じ。
飼い主も親も折檻した理由を「躾のため」と言う。
作者は人間と動物のつながりを徹底的に検証する。
たとえば「子猫殺し」「矢ガモ」のニュースを自宅のテレビで見る。
「可哀そうねえ」「ひっでええ」とか言いながら、
牛や豚など何らかの肉料理を「うまい」「うまい」と食べている。
矛盾してないかと。
「可哀そうねえ」「ひっでええ」とか言いながら、
牛や豚など何らかの肉料理を「うまい」「うまい」と食べている。
矛盾してないかと。
肉はスーパーマーケットなどでパックされた部位を買うが、
そうなったのが「産畜革命」だと。
そうなったのが「産畜革命」だと。
「産畜革命」、ブロイラーなどに代表されるように「徹底した飼育のオートメーション化と管理化を特徴とし、―略―アメリカで始まった「産畜革命」は、養鶏、養豚、肉牛、酪農に急激な変化をもたらし、世界の家畜の「生」をほぼ完全に変えてしまいました」
「住民の身体を行政的に管理し、その生を支配するこうした権力のあり方を「生権力」と名づけて注目しました」
「産畜革命」によって動物の「生の管理」が実現したと。
「いのち」がテーマゆえ、なかなか重たい内容が続く。
また引用。
その代表が
「フォード自動車の「フォードシステム」」
T型フォードか。
「そして、フォードは世界的企業であると同時に世界的に有名な反ユダヤ主義者でした」
作者は言う。
「さらに、ドゥルーズはフーコーの議論を前提に、「生権力」が20世紀後半に「規律社会」から「管理社会」に移行したと指摘しました。「監禁」から「解放」へより徹底した管理が行われる社会です」
ITが発展したおかげだね。
「こうして、かつての「屠畜場」=「フォードシステム」=「強制収容所」という「死の工場」は、その世界史上の位置を1990年代以降「畜産革命」=ソフトウェア社会=「管理社会」という「生の企業」へと交代したのです」
家畜などはHACCP(ハサップ/「危害要因分析重要管理点」)、人は住基ナンバー。違うか。
読む人で感じるところが違うだろう。大げさじゃなくてミシェル・フーコーの『監獄の誕生』や『狂気の歴史』と読後感が似ている。