『モダンデザイン批判』から『大衆の侮蔑』へ

 

 

ピロリ菌駆除薬を1週間服用のため、禁酒する。実は内緒でノンアルコールビールを飲んだ。不思議なものでビールを飲んだ気になる。昔のものよりおいしくなったし。

 

麦焼酎の強炭酸割を飲みながら、『モダンデザイン批判』柏木博著を読む。

 

デザインは、つーか、アートはアウラ(一点もの、お洋服でいえばオートクチュール)から大量複製(お洋服でいえばプレタポルテ 既製服)の時代へ。デザインも工業製品化して、誰にでも分け隔てなく同一・同質のものを享受できるようになった。ただし、経済力があればの話で。

 

モダンデザインの目指した、理想とした平等主義は、結局、新たな格差を生んでしまったと作者は述べる。

 

人文主義=人間主義について、そこに潜在しているテーマは『人間の脱野生化』なのだ、というペーター・スローターダイクの視点は無視できない」

 

「そうだとすれば、モダンデザインの考え方は、進歩と進化によって人間は野蛮からますます距離のある存在になるという伝統的な考え方の変奏ではないかともいえるだろう」

 

 

ハイデッガーによる人間主義への批判をスローターダイクはさらに、ニーチェ
援用しつつ、人間主義による人間の進歩と進化への作業は「飼育」でしかないのではないと指摘する」

 

「家畜人」、すなわち「動物化」。フーコー言うところの「生-政治」。ほら、つながった。とりあえず、スローターダイクの著作を探してみることにしよう。


んで、早速、『大衆の侮蔑』ペーター・スローターダイク著 仲正昌樹訳を読んでみた。薄い本なので読み飛ばせば、すぐに読了。本文もまあまあだったが、訳者解説が冴えている。「大衆」に関することを抜き書き。こんなふうに書きたいもんだ。

 

「『大衆』とは、基本的に何ら“特別なもの”を持たない「平等者=同一者たち」の集合体である。『大衆』を構成する各粒子の間には自然な「差異」はなく、人為的に創出された『区別』があるだけである」。彼らは決して、自分たちよりも“高貴”なものの存在を認めない。『大衆』は、全ての「貴族」を自分(たち)の水準にまで引き下げ、自分の目線に合わせて“全て”を平準化(=同一化)しようとする。~一部略~平凡で、庶民的なものこそ大衆社会で目立つのである」

 

で、たとえでヒトラーを持ち出すのだが、なるほどね。「庶民派」と自ら名乗る政治家や貧乏が売り物の演歌歌手とか。最近では維新の会もか。ポピュリズムって言うんだっけ。いずれは化けの皮がはがれるんだけど(と、思いたいのだが)、結局は。


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