英国音楽少女の来し方

『安アパートのディスコクイーン──トレイシー・ソーン自伝』
トレイシー・ソーン著 浅倉 卓弥訳を読む。
 
その散漫な感想。
 

 

LAZY WAYS(レイジー・ウェイズ~けだるい生活)(紙ジャケ仕様/SHM-CD)

LAZY WAYS(レイジー・ウェイズ~けだるい生活)(紙ジャケ仕様/SHM-CD)

 

 

 

A Distant Shore (遠い渚~ディスタント・ショア)(+2) (紙ジャケ仕様/SHM-CD)

A Distant Shore (遠い渚~ディスタント・ショア)(+2) (紙ジャケ仕様/SHM-CD)

 

 

 

 

トレイシー・ソーンを知ったのはマリン・ガールズだった。

新宿の広告会社に勤め出したぼくは、
書店と輸入盤ショップへ行くのがほぼ日課だった。
ネットショップなんてなかったから。
そこで見かけたのが、マリン・ガールズという
知らないガールズバンドのおしゃれなジャケット。
店員のお手製POPが大絶賛していた。
ジャケ買いしてターンテーブルにのせた。
へたうまネオアコサウンド
彼女のヴォーカルにひかれた。
チェリーレッドやクレプスキュール、ラフ・トレードなどのLPレコードを
買っていた。
 

 

 

 
チェリーレッドレコードのベン・ワットのデビューアルバム『North Marine Drive』の
ジャケットも音楽同様、印象的、ナイスだった。

 

North Marine Drive

North Marine Drive

  • アーティスト:Ben Watt
  • 出版社/メーカー: Cooking Vinyl
  • 発売日: 1997/05/20
  • メディア: CD
 

 

 
 
トレイシー・ソーンとベン・ワットのユニットが
エブリシング・バット・ザ・ガール。
 
この本では、高校時代、彼女がギターを買って、しばらくしてオリジナルをつくりだす。知り合いでバンドやろうぜ!ってことになる。
それがマリン・ガールズだった。
 
ベンとの出会いは大学に入って間もない頃。
音楽の趣味が似ていたそうで。
ボーイ・ミーツ・ガールの瞬間はいつでもまぶしい。
やがて二人が組む。

エブリシング・バット・ザ・ガールは、ポール・ウェラーに認められ
彼女はスタイル・カウンシルのアルバム『カフェ・ブリュ』で歌う。
ここで彼女は何度も歌入れのテイクを重ねるプロのレコーディングスタイルを体験する。それまでは一発録りだったらしい。

各章の終わりに彼女の作詞の翻訳が載っている。
改めて読むと文学的。フェミニズムもテーマの一つだったようだ。
ウィリアム・ブレイクにすっかり恋をし」、また『黄色い壁紙』を読んでいた。
話は前後するが、ザ・スミスモリッシーにも「恋をしていた」と。
内省的なアルバム。モリッシー様はトレイシー・ソーンのアイドルでもあったのか。

音楽のパートナーが人生のパートナーとなる。
エブリシング・バット・ザ・ガールは、売れた。
インディーズからメジャーシーンへ。
売れることの功罪。
プロとしては売れなければダメなんだけど。
自分たちのやりたいことと売れることは必ずしも一致しない。
 

 

Language of Life

Language of Life

  • アーティスト:Everything But the Girl
  • 出版社/メーカー: Atlantic / Wea
  • 発売日: 1990/02/08
  • メディア: CD
 

 

 

エブリシング・バット・ザ・ガールは代表的なものはCDで持っている。
トミー・リピューマ、プロデュースの『Language Of Life』。
AOR路線の名盤だが、そこに至る経緯やレコーディングシーンなどは興味深い。
 
結婚後、夫の大病。出産。
エブリシング・バット・ザ・ガールの活動休止。
彼女は育児を通して日々感じたことが、新たな音楽へのモチベーションとなる。
再び、宅録でデモをつくる。
 
かなり分厚い本だが、翻訳が上手、自然な感じ。
生きること、歌うこと、育てること、育てられること。
手垢のついた言い回しだけど「育児は育自」ってこと。
当時の英国音楽、音楽産業を当事者から知ることができ、貴重でもある。

後日、YouTubeで彼女の代表作をチョイスしてみよう。