冷たい血

とりあえずちょい長いパンフレットの第一稿目は、ほぼゴールとなる。
朝からキーボードを叩き続けて、頭がオーバーヒート気味。
せっせと糖分を脳に送らないと。


また秋田で似たような子殺し事件が起きてしまったが、
大概、報道は母親に非があるという見方をする。
それはおかしいと妻と、しばし話す。


実行犯が刑罰上ではいちばん重いし、実子を遺棄した母親がもちろん悪い。
でも、そのような凶行の一因となってしまった責任は元夫にもあるわけで、
なのにTVなどに出てきて「こんなことなら私が引き取ればよかった」と
判で押したような物言いをするのはいささか解せない。


乳飲み子(って古いか、言い回しが)ならいざ知らず、ある程度の年齢になったら、
父親もマジで引き取ることを考えないと。
子育てに積極的な“お母さん”お父さんが増えているはずなのに。


都会と地方じゃ状況は違うのかなあ。
憶測だけど、孫のお守りはヤだというジイさん、バアさんもたぶん、増えているこったし。
それに輪をかけて父ちゃん、母ちゃんもヤだという親も増えているこったし。
となると、都会は核家族、田舎は大家族という図式はガラガラと音を立てて崩れていく。


核家族のうちら夫婦は、ともかく懸命に子育てをしてきたが、
大家族で「孫の顔、早く見せろ」とことあるたびにいっていたいっていたジジ・ババが
いざ、孫が生まれたら、「面倒は見ねえ」じゃ
二階に登ってハシゴを外されたようなものかもしれない。


ダンナと別れて年下の男と子どもと暮らして
子どもが夜泣きすると躾と称して折檻、虐待してしまう。
挙句の果てに殺してしまう。こんな図式は、もうたくさんなのだが。


考えれば考えるほど、虚無感を覚えてしまう。
でもそれはひとごとじゃないとも思うし。
カポーティーが『冷血』を書いたけどって、アメリカの例を引くまでもなく、
桐野夏生あたりがとっくに書いているか。


『ブランドの条件』山田登世子著と『日本の不平等』大竹文雄著を読みかけ。


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