『行儀よくしろ。』清水義範著を読む。
「今日日(きょうび)の若者は…」などと大人が嘆くのは、おそらく人類有史以来、連綿と続いていることなのだろう。作者は、ふだん見かける電車やデパートなど公共の場での若者と大人のマナーを観察して客観的に、判断している。当然、マナーが悪いのは、若者だけじゃない。
日本や日本人がいま抱えている、さまざまな問題の根源を、ずううっとたどると、第二次世界大戦での敗戦にあると作者はいう。
「戦争に負けた日本人は、それまで持っていた自信を失い、自分たちの文化の価値を認めなくなり、自分たちの持ってた美質を捨てたのだ。負けた国にあったようなものは、実は何の価値もなかったのであり、日本は全部間違っていたのだ、と考えた」
「戦後の日本人は、それまで持っていた固有の文化を捨てて、経済に身を売り渡したのである」「そして実現できたのが、消費がすべての欲望社会だった」
捨て去ったものの中には、身近なレベルでは、あいさつ、しつけ、礼儀、敬語などがあり、そのオンライン上に、あえていうならば、愛国心だの大和魂とかいったものがある。換言すれば、ナショナリズムである。こんなことをいうと、いまだに右翼チックにとらえられがちだが、そんなことは、ないんじゃないの。日本語関連本や日本古来の武術や身体本のヒットの例をあげるまでもなく、サイレント・マジョリティのムードは、そっち方向へシフトしつつあるのではないだろうか。
「子供たちがイライラしているのは、その親も自分の人生に満足できず、イライラしているからである。それが、ちゃんと教育されてしまっているのだ。では、日本の大人はなぜ自分の人生に満足していないのか。それは、欲望社会の中で、自分がすべてを手に入れてはいないからである」
子供を着せ替え人形にして喜んでいる母親を軽蔑する母親って、大概は、教育ママのような気がするんだけど、そっちはそっちで、洋服のブランドの替わりに学校というブランドを押し付けているだけで、おんなじ。
従来ならば、衣食足りて礼節を知る。はずなのだが、経済的に豊かになったら、日本は精神的に貧しくなってしまったと。富めたら貪しちゃった。ひとえにこれは、日本文化が崩壊したものによる。その文化を「正す」ことこそが、「日本の教育にいちばん大切である」と述べている。
そうか。この「日本文化」という言い方が右翼チックなのかな。だったら、人間性だの、品格だのに勝手に置き換えてみたら、赦してくれますか?
ともすると、教育問題に関して、親は先生の非をあげがちだが、学校だけが教育の場ではないし、「先生に期待しすぎるな」とも。このくだりは、いまのおかあさん・おとうさんには、リアリティがあり、かくいうぼくも耳が痛くなる。
タイトルがそうなので、いまどきの子供や親を叱り飛ばす精神論的ものなのか、あるいは、パスティーシュの名人なので、何か、教育論のパロディなのかなと思ったら、なかなか、まっとうな、ど真ん中の教育論でありました。
