境界域は文明の揺りかご

 

 

『文明の交流史観―日本文明のなかの世界文明』小林道憲著を読む。以下メモ。

 

梅棹忠夫の『文明の生態史観』批判

文明とはそれぞれが独自に生まれ、独自に発展していったのではなく、盛んな「文明交流」によって、発展していった。その部分が『文明の生態史観』にはまったく欠落していると。作者は「媒介」役となった文明に焦点をあて、自論を展開していく。

いみじくも作者は文明の交流を曼荼羅にたとえているが、南方曼荼羅のようにいろんな円から沢山の線がお互いに発しれている、そんなイメージなのだろうか。それがノードになったり、ハブ的な存在が「媒体文明」。

 

○「媒体文明という考え」

「中心文明と周辺文明」だけでは交流は生じない。そこに「媒体文明」がなければ。
「陽子と中性子を結びつけるものとして、中間子がなければならないように」。
また「媒体文明」は、「境界域」で生まれ、育つ。「市場」と作者はいい、ぼくはパッサージュをイメージする。名づければ、カオス市場。渾然となった得体の知れないエネルギッシュなもの。


○「鎖国はなかった」

これは意外だけど、読んでいるうちにそうかあと。昔習った日本史では江戸時代は日本は鎖国政策によって長崎の出島での中国・オランダ以外の貿易は原則禁じられていた。ゆえに、まあ国のひきこもりによって、日本独自の文化が醸成されたと。「否!」と作者はいう。現に出島からヨーロッパ文化が入り込み、日本文化に影響を与えたと。そう鍋島焼とか伊万里焼がヨーロッパに輸出され、その鮮やかな色彩・文様はカルチャーショックを与えたわけだし。このあたりの輸出入のバランスシートだの統計だのが推定でもいいからある程度きちんと算出されると面白いかも。

 

○「人間は交換する動物である」

「人間は交易することによって、その制約を越える。-略-しかも、この交易活動によって、交通が発達し、人々が出会い、文化の交流が伸展する。-略-交易は、文明の相互発展を可能にする重要な触媒である」

 

○「複雑系としての文明」

「西欧文明も、決して自律的に発生や成長をしてきたのではなく、異文化の流入によって発展してきた。特に、西欧文明の勃興に、イスラム文明が果たした役割は大きい」

食いしん坊のぼくは、オスマントルコのウィーン侵略により、「コーヒーとクロワッサン」が伝播したことを即思いつく。

鈴木光司のデビュー作『楽園』を読んでいるような、膨大な時の流れを一気にワープするような眩暈にも似たものを覚える。またはファンタジーノベルやR.P.G.で異国から異国を旅するような感じにも。怪しげなバザールをさすらうような。

 

突然、こんなことが浮かんできた。「媒体文明」=ミーム(ミームの集合体、複合体)とも仮定できるのでは。


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