表から見たら裏は裏だけど、裏が表だったら表は裏になる

古代日本海文明交流圏―ユーラシアの文明変動の中で (SEKAISHISO SEMINAR)

 

またもや古い話なんだけど、新潟のある企業のリクルート向けVP(ビデオ)をつくることになって、構成と脚本を担当した。ロケハンからロケと冬の新潟に新幹線で何度か通った。スキーシーズンなのになあと早朝の上越新幹線ガーラ湯沢あたりへ向う眠そうなスキーヤーを横目に資料に目を通した。

 

そのとき、取材先で面白い地図を見せられた。環日本海地図というもので、北陸が北でロシアが南になっている地図。ふつう見慣れている日本地図とは真逆になっていた。新潟とロシア、韓国、中国との近さをアピールしたかったらしく、事実、古くより交流が盛んだったらしいし、その当時も交流を発展させようとしていた。

 

『古代日本海文明交流圏 ユーラシアの文明変動の中で』小林道憲法著を読んでいたら、その地図を見たことを思い出してしまった。

 

この本は、日本海を媒介に起きた文明交流について考察したものである。

 

日本海文明交流圏は、ユーラシア大陸全体の文明交流圏と密接に連関している。古代日本文明の形成過程を、日本海という海の交流文化圏と、ユーラシア大陸という陸の文明交流圏との連動の中で、大きな視野に立って文明論的に解釈し直してみることは、無意味ではない」


「わが国の古代文明は、大陸の新しい文物を携えて朝鮮半島から波状的にやってきた渡来人たちによって形成されてきた。この時、日本海沿岸部は、大陸から新しい物や技術、人を受け入れる役割を果たし、各地域の発展に貢献した。大和政権にとっても、日本海沿岸部から琵琶湖・淀川水系を通って畿内に至るは、その発展を支える生命線であった」


この本では民俗学的な説もふんだんに紹介されていて、これだけでも伝奇小説や諸星大二郎の伝奇漫画が好きな人にはネタとしても興味深い。

 

たくさんある中から、たとえば「ツヌガアラシト伝承」を引いてみる。

 

「ツヌガアラシト伝承は、弥生時代から古墳時代にかけて、朝鮮半島から日本列島へ、日本海を渡って次々と移住してきた渡来人の事蹟を象徴するものである」「崇神天皇の代に、額に角が生えた人が船に乗って越国(こしのくに)の笥飯浦(けひのうら/気比神宮付近)に停泊した。だから、そこを名づけて角鹿(つのが 敦賀)と言う」


ほんとは、フィールドワーク、物見遊山に行きたいな、このあたりを、ぐるっと。瀬波温泉の海岸から眺めた日本海の夕日は、自慢するだけあって美しかった。

 

どうも太平洋側ばかりが持てはやされ、明治以降発展を遂げてきたが、日本海側のいまは眠っている、隠蔽された印象の強い文明にスポットを当てることで、何か新しいものが生まれるのではないかと。

 

表から見たら裏は裏だけど、裏が表だったら表は裏になる。

 

日本海地図

 

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