読めども、読めども―なぜ、ぼくたちはSFを読むのか

SFする思考: 荒巻義雄評論集成

『SFする思考: 荒巻義雄評論集成』荒巻義雄著を読む。


キャリア半世紀。その間、書かれた評論らレビューなどを、まさに網羅した一冊。
こんな分厚い本は国書刊行会?違う、違う、そうじゃない。小鳥遊書房から。

 

作者はSF作家でもあるが、評論家でもある。
大学で心理学を専攻したが、家業の土木・建築業のため地元北海道の大学で
土木・建築学を学び直したという経歴。

作家と評論家、文系と理系。「二足のワラジ」、「二刀流」。
こんなに広範なカテゴリーの評論やレビューを書いているとは知らなかった。

 

はじめに驚いたのは哲学や現代思想への造詣の深さ。
作者の関心の矛先を見ると哲学のトレンドと重なる。
サルトルの実存哲学からレヴィ=ストロースへ。そしてフーコー、バルト、ラカンらの構造主義へ。その流れは共感できる。しかもわかりやすい。

 

作者がSF作家になる経緯や当時の星新一小松左京筒井康隆の3巨人を頂点にした日本SFの黎明期も内側から書かれており読んでいて新鮮だった。

 

 

「進化の過程での遺伝子のコピーミス」が面白かった。作者は、ドーキンスの唱える「ミーム」をどう評価するのだろう。

 

「生物の進化の過程では、数え切れない遺伝子のコピーミスが繰り返して起きた。自動車、飛行機その他もろもろの工業製品もある意味では同じだ。文化も文明も前例をわずかに変えながら進化してきた。日本SFもである。アメリカSFのコピーからはじまったが、たちまち本質剥離を起こし、日本独自のSFが育った。最初から、オリジナルなんてものはあり得ないのである」

 

「日本独自のSF」は、辺境の極東の地・日本でガラパゴス化ガラケーのガラね―したわけではない。念のため。

 

ラヴクラフトにも言及している。

「その作品は、恐怖小説として絶品と言うのに値する。彼は絶対的恐怖を表現しようとして、しばしば最上級の表現を用いた。ポーの場合は恐怖の後に美の戦慄がつづくが、彼の場合、それはグロテスクとなるのである。その主人公たちは、一種の否定神学とでもいうべき精神を持っていて、恐怖に誘われてますます恐怖の深淵にわが身を沈めていく。こうした恐怖に対するラヴクラフトの描写力は極めて優れていた。一種の詩的な魅力的ともいえる」

 

21世紀はマニエリスム時代と述べている。

 

「私に言わせれば、AIが活躍する21世紀という時代自体が、完璧なマニエリスム時代である。なぜなら、AIもまた神の代替物であるからだ。今日の高度ネット社会は短時間で多くの情報を、前例を抽出、引用可能な時代である。まさにマニエリスムではないか。電子マネーを成立させる高度暗号に満ちあふれた現代社会そのものが、まさにマニエリスム的なのである」


「「見えない飛行機」から始まる私的SF史―あとがきに代えて」で「マニエリスム」について具体的に述べている。

 

マニエリスム思想は、リアリズムが神の造形物の忠実な模写であるのと根本的に違い、神の創造性そのものを真似て、新たなものを創り出す思想である、と」

 

さらに

「SFをマニエリスムと定義することによってのみ、SFは21世紀以降の人新世と共振できるのである」


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