メディアの特性を理解せずに、現代を真に理解することはできない

 

 

メディア・リテラシー ―世界の現場から―』菅谷明子著を読む。

 

いま、日本の教育に欠けているものは、何だろう。その大きなものの一つが、メディア・リテラシーである。

 

メディア・リテラシーとは、「メディアが形作る『現実』を批判的(クリティカル)に読み取るとともに、メディアを使って表現していく能力のことである」。

「機器の操作能力に限らず、メディアの特性や社会的な意味を理解し、メディアが送り出す情報を『構成されたもの』として建設的に批判するとともに、自らの考えなどを
メディアを使って表現し、社会に向けて効果的にコミュニケーションをはかることでメディア社会と積極的に付き合うための総合的能力を指す」。


メディアの情報がすべて真実だとはいえない。なぜって?ニュース映像なら、撮影した絵と伝えたいコメントは、TV番組の決められた尺内で編集される。極言するならば、編集するスタンスで、まったく異なるニュースに仕上げるのも可能だからだ。

 

かといってやみくもになんでも批判的なスタンスからメディアが発信する情報に信憑性があるのかといえば、それは表現方法が異なるだけであって、ほんとのところは、そんなに大差がない場合が多いように思える。よく考えてみよう。朝のワイドショーが興味本位の、覗き見主義、下世話でデタラメで、報道番組が高尚で真実を伝えているとは断言できないはず。

 

本書は、アメリカ、イギリス、カナダなど世界各国のメディアリテラシーの教育現場を取材し、紹介している。たとえばカナダのハイスクールでは、「番組制作を通してメディアに対する理解を深める」ために、実際に生徒たちが生放送のニュース番組作りに挑戦しているという。

 

お題目のように、「IT」や「パソコンが使えないと…」などと言われているが、それは単なる方法論であって、根幹をなすべきものについては、さほど言及されていないような気がする。

 

作者はこれからは、マルチメディア・リテラシーの重要性を挙げながら結びの言葉としている。メディア・リテラシーが幼少年期のカリキュラムにきちんと組み込まれていれば、オウム真理教のような事件は起こらなかったと考えるのは早計だろうか。sns全盛の今だからこそメディアを理解せずに、現代の政治・社会・文化を真に理解することはできないのだ。


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