使える哲学って

哲学の使い方 (岩波新書)

哲学の使い方 (岩波新書)

『哲学の使い方』鷲田清一著を読む。
この本を読んで哲学者の名文句を引用して女子を口説けるとか、
あるいは論文を書くのが画期的にうまくなるとか。
プラグマチックというか、
即、日常生活に役立つ的な内容ではない。
誤解なきように。
じゃあ、なぜ、こんなタイトルにしたんだろう。

哲学というと、小難しい、大難しい。
役に立たない時代遅れのものという印象があるようだ。
子どもが怪獣の名前を沢山覚えて悦に入るように、
ジャーゴンを覚えてまくし立てて喜んでいる輩もいたけどね、
哲学科には。
途方に暮れている人は、この本を読むと、いいと思う。

とにかく考える。いろんな方向から検証してみる。
肯定派、否定派、関連したものは、片っ端から
読んでみる。
それが、考えの素材。
そうして取りあえず、知ることから考えを煮詰めていく。
煮詰まるときもある。
ラーメン店のスープづくりに似ている。
ネットのまとめサイトみたいに、
ささっと結論づけることは、ない。
手間、暇、時間がかかる。
テレビの人生相談の番組みたいに
1時間で結論が下せることはない。
もっとも、あれは編集で1時間の尺に収まるようにしているんだけど。
ときには、考え過ぎて腐ってしまうこともあるだろう。

ちょこっとだけ、肝のところを引用。

「哲学の心得―抽象と臨床」


だそうだ。
抽象とは、思索を自身で煮詰めること。
臨床とは、「フィールドワーク」だそうだ。
固い書物を読むことだけが、哲学じゃない。
たとえば現場のいろんな人の話に耳を傾けることなど。
あらゆるものが「テクスト」になる。

「哲学固有の論述形式なるもので哲学の輪郭を印すことはできない。
それらのテクスト群は、哲学史という「系譜」と一義的に
収斂させうるものでもない。―一部略―抽象の作業と臨床の作業は、
「概念の創造」と「フィールドワーク」は、哲学において、糾える
縄のごとくつねに表裏をなしている」

 


「あるいはそれらを志向の往相と還相と呼ぶならば、二つの
位相は継起するものではなく、同時的に進行するものである」

 

難しく思うことなかれ。
企画したり、企画書なんかを書く人は、同じことをしているわけ。
広告代理店のマーケや企業コンサルの人は、
データなどで理論武装したテッキンコンクリートのプランニングをする。
そうでない人は、売り場の反応を肌で感じて
直観レベルのワンシートの簡単なワラに家のような企画書を作る。
どちらが当たるか。都度、違う。
どちらが正しいか。正しいかはわからないが。
自己流のチャーミングな企画書を書こうぜ!ってこと。
哲学も要するに、自己流のチャーミングな哲学にしようぜ!となる。

大学もなんだか寺子屋化で、
読み・書き・そろばん、ならぬ
英語、ディベート、PC。
おまけに修身と軍事教練が必須になったりしそうな勢い。
すぐに役に立ちそうにもないものは、まっ先にスポイルされる。
でも、どの学問も本来はロングタームじゃん。
少年老い易く、学成り難し。って言うし。

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