ホームドラマの定点観測

 

 

カンバセイション・ピース保坂和志著を再読する。いや、もっと読み直しているな。

 

「猫」「鎌倉の家」「大家族(正しくは親族か)」「横浜ベイスターズ」。雑駁に述べてしまえば、三題噺ならぬ四題噺のエッセイのような小説。

 

作者がフィックス(固定)したカメラアングルは、定点観測のように、思い出の染みついた家での日常生活を淡々と映し出していく。そこで作者の分身とも思われる小説家の主人公以下妻や甥や姪などの登場人物たちは実によく話す。大半が他愛もないことだが。地の文は冗長とも思えるほど、長い長いフレーズ。金井美恵子といい勝負。時折、主人公の会話の中に、作者の思考する哲学や科学論の一片が、ちらと姿をのぞかせる。これらが、いい具合にミクスチュアされている。

 

いまやノスタルジーともいえる日本家屋の佇まいや季節の音や匂い、温度感などを丹念に描写している。高等遊民とも思える登場人物の暮らしぶりには、ゆったりとした心地よい時間が流れていて、海のそばで暮らしたいと今年の春、茅ヶ崎へ引っ越していった知人一家のことが頭をよぎったりして、「レイド・バック」というほとんど死語を久方ぶりに使ってみたくなった。

 

会話の断片で埋められたホームドラマ。ヤマなし、オチなし、ただしイミやイギはある。でなきゃ、最後まで読み通すことはできなかったはず。読み終えてから、そのあったかさ、ハッピーさを反芻している。反芻できるか、できないか、これも、また、小説の面白さの判断の一つといえる。

 

大人になるにつれ、親族と会うのは、冠婚葬祭の場とかになってくる。そこで何年かぶりで会ったいとこたちと話していると、いつの間にか昔の間柄になっている。頻繁に会っていた頃は、こっちが中学生で、向こうが小学校の高学年だった。お互い、もういい年齢なのだが、いまだに名前をちゃんづけで照れずに呼び合ったりしている。

 

たとえば、そんなことを想起させてくれる。とりとめのない会話をする。面と向かって話す、聴く。ことばを投げる、受け止めることの楽しさ、大切さを感じ入った。身体性ってやつね。換言すれば、生身。

 

最後に、誰か、この鎌倉の家をジオラマかなんかで復元してくれないかな。長谷川町子美術館にあるサザエさんの家のようなの。黒い影が出没するお風呂場とか、見たいなあ。

 

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