老いることと枯れることはイコールじゃない

 

残光

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『残光』小島信夫著を再読。


確か第三の新人に含まれている人で、安岡章太郎庄野潤三あたりのユーモアにも通じるものがある。他に何作か読んだ。読んだとしても、たぶん、覚えてはいない。拙ブログを検索して確認する。

 

これは加齢のせい、それとも記憶の容量に問題があるのか。ともかく映画もかつてスクリーンで見て感動なり興奮なりしたはずなのに、TVやDVDで再見すると、何か違っていたりする。

『残光』は、読書人関係のWebやブログを拝見してどうも読み辛そうだという先入観があった。あった、あった。而してそれはこの本を読み進むにつれてコッパミジンに粉砕される。

 

90歳の作家は、肉体的な老いや妻の痴呆症による入院、生まれつきマヒがあり、アルコール依存症で息子に先立たれた不幸などはあるが、それすらも小説の素材にして、たんたんと言葉を綴っていく。

 

この作品の土台は老境を迎えた近況のエッセイ風小説なのだが、そこに過去の自作の引用、本人、妻など実在の人物と小説(虚構)の登場人物がすりかわったりして、とまどわせるメタフィクション

 

なんて書いてしまうとあたかも前衛小説のごときものをイメージされたら困るので、もう少し説明。表向き、字面はそんな企みは皆無で、大河のようにゆるやかに流れている。しかし、ちょっと水面下を覗いてよーくみると、上述したとおりさまざまな流れが混在している。

 

既存の小説のフレームワークでは通じない、つーか、凌駕したところがあり、そこに魅せられればどんどん読むスピードが上がっていくが、そうでない人は退屈のち頓挫してしまうだろう。


ぼくも最初はめんくらっていたのだが、過去-現在-未来という時制をとっぱらったゆるやかな文体、行間が心地よく思えてきて、いままでにない読む愉しさを味わっている最中。

 

たんたんとはしているが、けして枯れてはいない。老いてその道の名人と呼ばれるとどうしてもそういう言い回しを使いたくなるのだが、走り出したら止まらないではないが、書き出したら止まらない。その小説家の業の深さみたいものを感じる。

 

換言するならば、ワンシーンワンカット、映画でいうところの長回しが延々と続くような作品。常套句を使ってしまえば、生きていることの歓びを伝えてくれる。さすが、保坂和志の先達的小説家。

 

再読して新たな発見や魅力を感じた。

 

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