アポロン的少年愛

光の曼陀羅 日本文学論

光の曼陀羅 日本文学論

『光の曼荼羅』安藤礼二著を中途まで読む。
以下、途中経過の雑駁なメモ。


なかなか晦渋な文章表現をされる著者に対して、
こちとら、いつものように軽く上澄みだけをすくうような感じなので、
その辺は心してかかれよ。

「文学の言葉、死者たちの言葉は、この可視の世界を流通する、計量可能で
一元的な意味を担ったコミュニケーションのための言葉とは、著しく異なった
ものになるだろう。軽量不可能で、一つの音が、それだけで多元的な意味を担うもの。
もしくは、一つの意味が、重層的な響きを発して、こちらに送り届けられるもの。
色彩と香りと音が互いに呼応し合うようなもの。
間接的な伝達を離れて、直接的な表現を目指すもの…」

「この可視の世界を流通する、計量可能で一元的な意味を担った
コミュニケーションのための言葉」に、どっぷりつかっているぼくには、
折口信夫江戸川乱歩埴谷雄高中井英夫らが挙げられていて、
作者がまとめた「系譜」、ツリーがいたく刺激的。
パンドラの箱を開けられたような…ヤバイ、ヤバイ。
南方熊楠アンドレ・ブルトン
「フレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤーズ」の著作で
通底しているというのも、こりゃまた刺激的。
南方熊楠というとエコロジーの先駆のような取り上げ方が
主流なのかもしれないが、この本では「少年愛」という切口で展開している。
昨今流行の「BL」(ボーイズラブ)じゃなくて、少年愛
同じじゃんって、違うじゃん。
「BL」(ボーイズラブ)はさ、
一般的に女子のモウソウする理想系の男同士の愛だけど、
少年愛はさ、女子は介在しないってぼくは考えるけど。
足穂のA感覚とV感覚なんて懐かしい。
『光の曼荼羅』の「光」は「大日如来の光」だそうで、
アポロンだって光つながりといえなくもない。


ミステリーと純文学が、シャム双生児のような関係だということを
改めて考えさせられて、乱歩の『陰獣』など再読したくなる。
−続く(たぶんね)−


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