「身・心・社会の視点」から、「共同性」から、心の病を捉え直す

 

 


25年間の断捨離。マジ、大変。
コードレス電動ノコギリがクセになりそう。


昔書いたのシリーズ-part2

 

統合失調症精神分裂病を解く』森山公夫を読む。

 

2002年、「精神分裂病」が「統合失調症」に改名された。その背景にあるのは、精神分裂病は「荒廃にいたる本能不明の病」といういわれなき誤解と偏見にある。


決してそうではなく「ある心理・社会的ストレスから調子を崩す(失調する)病で『治りうる』ものである」ことをより多くの人にきちんと理解してもらいたい、それが執筆の動機となったようである。

 

では、なぜこの病は起こるのか。まず、発端ともなるべきものが、精神の危機なのだが、これは少なからず誰もが経験するものである。いままでは血縁(家族や親族)、あるいは地縁(近隣の人々)が、いわばセーフティネットの役割を果たしていた。ところが「日本の伝統的な地縁・血縁的な共同体が崩壊して」しまい、精神的危機が蔓延してしまうようになったと。そもそも「共同体の成立とともに人間的精神と文化が成立し、人間的身体がつくられてきた」。ゆえに「共同性はわたしたちの心の深層に浸透し、日常行動の隅々までも支配」しているのだと。

 

作者は、精神疾患の問題を、単なる「人間関係」で捉えるのではなく「身・心・社会の視点」から、「共同性」から、解明を試みなければならないと。それを「精神分裂病脱構築」と記している。

 

「人間の本質は個々人に内在する抽出物ではなく、その現実性においては社会的諸関係の総和である」というマルクスのテーゼが不滅の金言のように思える。

 

竹内敏春の説をふまえながら、「心の危機」は「身の危機」であると。共同性の問題では吉本隆明廣松渉、生のリズムでは中村雄二郎などをベースに、独自の理論を構築しようとしている。

 

「すべての精神疾患は、精神的危機のきわみ、孤立という人間的苦悩の極北で、社会的疎外とその身体化である生のリズム障害との悪循環が生ずることに始まります」

 

代表的な例として夏目漱石をあげている。すぐさまロンドン留学時代の漱石の苦悩を思い浮かべるが、私たちの多くは、異国でなくても、程度の差はあれ、同様な思いをしているのではないだろうか。

 

本書に記載されている多数の症例や発症にいたるまでの過程を読むだけでも、統合失調症とはどのような病なのかをより具体的に知ることができる。そしてメンタルヘルスへの認識を新たにさせられる。

 

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