見覚えがある

人格の精神分析学的研究

人格の精神分析学的研究

半蔵門へ打ち合わせに行く。
見覚えがあるビル。
やはり、そうだ。
かつてそのフロアにあった違う会社と一時期、仕事をしていた。
昨夜、急ぎのポスターのコピー案を、
硬軟織り交ぜて送る。
どのようなリターンが来るか。
と、書いてメールをチェックしたら
別方面からリターンが来た。

ドゥルーズと狂気』小泉義之著で紹介していた
『人格の精神分析学的研究』フェアベーン著を読んだ。
いい翻訳で読みやすい。フロイトの用語が出て来るのを読むのは、久しぶり。
先祖帰りというわけではないが、新鮮。
フェアベーンの説が、いまの時代になんか合っていると思ってしまうのはなぜ。
適宜、引用。

「前期口唇期の人間に突きつけられた最大の課題が、「愛によって破壊することなしに、いかにして対象を愛するか」ということだとすれば、後期口唇期の人間に突きつけられた最大の課題は、「憎しみによって破壊することなしに、いかにして対象を愛するか」ということになる。したがって、抑うつ的反応の根は後期口唇期にあるのだから、抑うつ的人物にとって最大の困難は、愛を処理することではなく、憎しみを処理することだ、ということになる」

(第二章 精神病と精神神経症の、修正された精神病理学)

憎しみを昇華させ、カタルシスにまで持っていくか。消火じゃないよ。
でも、憎しみが炎上したら、消火か。

「兵隊に見られる分離不安の問題は、全体主義的政体の下では、それ以前に行われた乳児的依存の悪用によって、すでに先鞭をつけられている。なぜなら、家族的対象への依存を犠牲にして政体への依存を強いるのが、全体主義的手口の一環なのだから。
全体主義的な目から見れば、家族的対象への依存こそ、「民主主義の堕落」の本体である。しかしながら全体主義的手口にはそれなりの弱さがある。つまりそれは、国家的成功に依存しているのである。なぜなら、この政体は、成功状態のもとにあってはじめて、個人にとって良い対象でありつづけることができるのだから。
失敗状態の下では、この政体は個人にとって悪い対象となってしまう。そしてこの時、分離不安という社会を崩壊させる力が、危機的な形をとって自己を主張しはじめるのである」


天皇陛下、万歳!」と叫びながらも、心の底の底では「母ちゃん!!」と言いつつ
死んでいった若い兵隊とか。
全体主義の熱狂。一度手を挙げた大衆は、手をこっそり下す。

「これにたいして民主主義社会の長所は、むしろ失敗もしくは敗北のときにこそある。なぜなら、民主主義社会の方が、個人が国家に依存している度合いが少ないからであり、またそれゆえに、一つの対象としての国家の「良さ」への幻滅にさらされることも、より少なくてすむからである。また同時に、敗北に固有な家族的対象の脅威は(ただしこの脅威があまりにも圧倒的なものでないかぎりにおいてではあるが)かえって努力への誘引となってくれるのにたいして、全体主義的政体の下ではこれが欠けているのである。したがって、集団心理学的視点から考察すると、全体主義
国家の士気にとって最大の試練は挫折の時にやってくるのにたいして、
民主主義的国家の士気にとって最大の試練は成功の時にやってくるのである」

(第三章 抑圧と、悪い対象の回帰(とくに戦争神経症に言及して))

依存を分散投資してリスクヘッジしているのが、民主主義社会ってことかな。
このあたりを踏まえて石原吉郎の詩を読み直すと
新たな発見があるかもしれない。

 

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