「人格障害」とラベリングしてしまえば、それでわかった気になっていないだろうか。作者はそれを「片づけ」と表現している

 

 

人格障害をめぐる冒険』大泉実成を読む。この手に興味のある人には、おすすめする。

 

昨今流布している「人格障害」、その背景には、「精神分裂病」(原文まま→統一性失調症)=無罪、「人格障害」=(有責任能力で)死刑。死刑にするため、罪を負わせるために、かような言葉を出現させたのではないかと作者は問う。

 

題名は忘れてしまったが、洋物のミステリーで殺された子どもの報復手段で一時的に統一性失調症になる薬剤を服用して父親が殺人を犯すという内容のものを読んだことがある。オチ的には当然心神喪失で無罪放免になるのだが。

 

ただ作者も述べているようにこの線引きは難しいし、誰が線を引く権限があるのか。裁判官か、精神分析医か、学者なのか。

 

富める者は防犯カメラなどのセキュリティを完璧にして、子どもは経済的・知的水準も同じクラスターの私立校に通わせる。逆アパルトヘイト

 

どうも根底には優生学的選別のニオイが感じられてならないと作者はマスコミで高名な学者先生たちにたずねてみるが、色よい返事というか期待通りの答は、精神科医町沢静夫だけだったそうだ。


ビミョーなんだけど、PDSDやADHDは、その言葉が普及することにより、救われた人がたくさんいるだろう。これは間違いない。たぶん同じ出自なんだけどDSM(「精神疾患の診断と統計マニュアル」)は、かなりヤバそうだ。


ただし、水戸黄門の印籠のように「人格障害」とラベリングしてしまえば、それでわかった気になっていないだろうか。作者はそれを「片づけ」と表現している。

 

「現実は「片づけ」を求める」「僕はこの「片づけ」という言葉を、事件によって人の心に起こった不安や、その事件の最も重要な部分をうやむやにしたまま、社会的な幕引きをしてしまうこと、といった意味で使ってきた」

 

「「裁判所」という場所は、ありとあらゆる世間の難問が持ち込まれ、それをいかに「片づけ」ていくかという、いわば片づけのメッカのような場所である」

 

でも、落着ではないよね。ジャーナリストの使命感に燃えて大上段から書くっていうんじゃない。ラカンの引用とかで自分を賢く見せたりしないし。きわめて素朴というか自身で納得した立ち位置から意見を積み上げていく。『消えた漫画家』やエヴァンゲリオンあたりの書いたものも好きだった。

 

臨床心理士矢幡洋を引いている箇所もふむふむと思った。

「現代の女子児童は、必ずどこかのグループに属しており、「孤立した存在」として生活することは許されないようになっている」「なぜこのような現象が進行しているのか。氏はそれを「依存的傾向の強化」ととらえ、「依存性人格障害」の規定から説明しようと試みる」「ひっきりなしにメールを交換しあう若者たちの行動は「誰かと一緒にいたい」という依存的傾向の一現象であろう」

 

ぴったんこかんかん。「孤立を許さない群れ」というとサルの群れをイメージするが、腐女子ばかりか男子とて同根。いいや、風呂敷を広げてしまえば、いまの日本人みーんな、そうかもしれない。

 

なんとなく日本人は一億総中流、均質・平等だと思っていたのに、いつの間にか格差を如実にイヤというほど現実問題として感じさせられる昨今。アイデンティティ・クライシスといってしまえば、片づけられるが、そんな簡単に片づけられたくはない。

 

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