推し、百合、ケア―「「推し」がいれば何でもできる」

 

 

ニジンスキーは銀橋で踊らない』かげはら史帆著を読む。


天才バレエ・ダンサー、ニジンスキーの妻・ロモラの、まさに波乱万丈(陳腐な言い回しだけど)の半生記。


これまで音楽家のノンフィクションを書いてきた作者だもの、当然、ノンフィクションに仕上げるはず。ところが、ロモラの生き方が激しいのか、ロモラが憑依したのか、ノンフィクションを越境してフィクションを書かせてしまった。

 

以下、だらだらと。

 

ディアギレフとニジンスキーの関係は知っていたが。菊花の契りなんて塚本邦雄チックだけど。ロモラはハンガリーの貴族の家柄。母親は大女優だった。彼女もバレエを習うがプロになるほどの才能はなかった。ニジンスキーの大ファンだった。当時、そんな女性は山ほどいただろう。


顔見知り程度の彼から突然、人づてに求婚される。まさか、推しと結婚できるとは。
婚約を破棄して受諾する。

 

当然、ディアギレフは怒りまくる。自分の宝物を強奪された気分だったろう。ニジンスキーはディアギレフが率いるバレエ・リュスの卒業を決意する。しかし、そこには契約というややこしい問題が。さらに、時代の寵児ゆえ高額なギャラをもらっていたと思っていたロモラ。ところが…。ああ、芸能界は、この頃からいままで体質はちっとも変わってない。


ハンガリーとロシアが戦争に巻き込まれると、ロモラの母親は敵国人とは別れなさいと。ちなみにニジンスキーは、「キエフ(現ウクライナ)出身・両親はポーランド人」だそうだ。ニジンスキーと結婚して子どもができる。

 

時折おかしな行為を見せていたが、それは心の病だった。「統合失調症(スキゾフレニア)」。ビンスヴァンガー(ビンスワンガーの方が一般的かも)が院長を務めるスイスのサナトリウムに夫を転院させるなど懸命にケアにつとめる。子どもたちは親に預けて。

かさむ高額の入院費、治療費。貯えも目減りする一方。彼女は、自ら稼ぐことを心に決める。

 

アメリカへ渡る。目的は映画業界の人と知り合って、何とかニジンスキーの映画をつくろうと。撮影スタジオでリアという同朋の女優と懇意になる。マネージャーにならないかと。リアと関係を持つ。ニジンスキーと別れてくれとも。きっぱりと断る。リアは不摂生で弱っていて、喉に鶏の骨をつまらせて、それが原因で亡くなってしまう。

 

未払いの入院費。手立てとしてはニジンスキーの本を書くしかない。才能ある若きゴーストライターのもと原稿を書き進める。伝記は刊行され、ロングセラーとなり、続篇も刊行された。彼女は「ニジンスキーの妻」として著名人に仲間入りした。

 

ニジンスキーは、29歳の時に発症、1950年、ロンドンの病院で60歳で亡くなる。およそ30年もの間、ケアをして、支え続けた。

 

気まぐれに思いついた日本旅行。そこで偶然、宝塚歌劇団を知り、見に行く。人気の男役・明石照子を一目見て恋をする。ニジンスキーに似ている。かつて推しとして恋焦がれた感情が甦る。

 

まさかニジンスキー夫人が、宝塚歌劇を見に来るとは。スタッフはどよめく。彼女は明石に養子を持ちかけようと思うが、結局、踏みとどまる。

 

当時、ユング研究所に留学していた河合隼夫が、明石への手紙を日本語に訳したという。興味深い話がてんこもり。

 

「元気があれば何でもできる」は、アントニオ猪木の名言だけどそれに倣えば「「推し」がいれば何でもできる」ってことか。

 

ニジンスキー、映像でいいから見たかった。宝塚の舞台化は厳しいと思うけど、漫画になったら再度読みたいなあ。


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