人生のマウントを取る女

 

 

『魂を漁る女』レオポルド・フォン・ザッハー=マゾッホ著 藤川芳朗訳を読む。

 

青年士官ツェジム。その幼馴染のドラゴミラ。ツェジムは、久しぶりに会った彼女の美しさに心を奪われる。そのツェジムを慕っている少女アニッタ。親はアニッタとの結婚相手にソルテュク伯爵を望んでいる。しかし、伯爵もまたドラゴミラに惹かれている。四角関係で互いに押し合い引き合いする。

 

ドラゴミラには秘密があった。彼女はカルト宗教の熱烈な信者だった。アポストル神父の命じるまま彼女の信奉している教義に反する者は拉致して、カルト宗教への強制的な宗旨替えを迫る。その方法は、拘束や折檻。転ばなければいとも簡単に殺戮する。かような殺人事件が立て続けに起これば、警察も動き出す。

 

怪しげな供儀、屠(ほふ)りの儀式のさまは、ふとアリ・アスター監督の映画『ミッドサマー』を思い出す。

 

文庫版訳者あとがきの一文を引用。

「作者がドラゴミラに具現させているのは、押し寄せる西欧の合理主義にたいする、非合理主義(=土着の神秘主義)のひとつの反撃であろう。19世紀のスラヴ人にとって、一方にはロシアの既成宗教と教会の堕落が、もう一方には西欧の科学偏重と神の否定があって、その狭間でこの小説に描かれているような異端信仰はその勢いを増しこそすれ、衰える気配はなかった。悲惨な宗教殺人も後を絶たなかったのである。
(白石治朗著『ロシアノの神々と民間信仰』参照)」

しかし耽美派文学の巨匠マゾッホは、オカルト小説なんて書きたかったのではないだろう。あくまでもドラゴミラの物語。

 

文中で彼女を女性戦士アマゾネスをたとえに挙げているが、SMクラブの女王様タイプ、高身長、筋肉質。ドラゴミラは男装の麗人や看護師や百姓女などさまざまにに変身してターゲットに近づく。正体を知られぬようにというよりも、なんかコスプレを楽しんでいるような。

 

クライマックスシーンは、仮面舞踏会。スルタンのお妃に扮したドラゴミラは、ツェジムと伯爵を釘付けにする。愛しのツェジム様をとられてたまるかとアニッタは可憐さをかなぐり捨てて立ち向かう。ドラゴミラvsアニッタ。宝塚歌劇のようでもある。少女漫画のようでもある。

 

信仰か恋愛かなどの悩みは一切なし。多少はあるかな。自由奔放。常に恋愛でもなんでも人生のマウントを取る女。なんだかカッコイイ。なんだか新しい。ドラゴミラの「ド」は、毒婦の「ド」、ドSの「ド」。

 

soneakira.hatenablog.com

 

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