「東京大学「80年代地下文化論」講義」宮沢章夫著の読書メモ兼インスパイアされた事柄

東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版

東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版

  • 作者:宮沢章夫
  • 発売日: 2015/11/05
  • メディア: 単行本
 

 昔、書いたの、長いんですが。その頃よりも、withコロナのいま、状況は悪くなっているんじゃないかな。


「おたく」から「OTAKU」へ

 

「80年代について語ることほど虚しいことはない」
真綿色したシクラメンほどすがしいものはない(「シクラメンのかほり」by小椋佳)に、似ているフレーズ。

「80年代を象徴する「新人類」と「おたく」」

「おたく」は「「かっこいい」とはまったく異なる次元にありますね」
「「かっこいい」とは対極だった。だからこそ、現在を照らす言葉であり、現象だというのが大塚英志さんの視線だと思う」

 

 いまやおたくはアンダーグラウンドからオーバーグラウンドして、
OTAKU」と世界で通用する単語になったが、「かっこいい」とみなされるようになったのだろうか。非モテの定位置から脱却できたのだろうか。

 

「西武セゾン文化」という包装紙

 

糸井重里さんが書いた西武百貨店の有名なコピーで「おいしい生活。」というのがあります」「では、「おいしい生活。」とはなにか。あらためて考えてみると、あきらかに実体のないものです」

その「「西武セゾン文化」を牽引していった人」は社長(堤清二)兼作家兼詩人(辻井喬)。「「おいしい生活。」というコピーが喚起するイメージの―略―ねじれは、そもそも堤清二の、文学者と経営者という分裂した存在のあらわれだとも言えます」

これは先日、名古屋で取材をしたときに、いみじくも西武のイメージ戦略キャンペーンの話題になり、プロデューサーもしくはクリエイティブディレクターとしての堤清二は成功したが、経営者としては失敗したという話が出てきた。

 

中身がまずい饅頭をいくらきれいでおしゃれな包装紙やインパクトのあるネーミングにしたとて、最初は飛びついて買うかもしれないが、まずければ、二度と買わない。こうして新興の西武饅頭店は当主が身をひくことになった。

 

楽天ライブドアはなぜ企業メセナに関心を持たないか」
それは「「文化」に興味がない」彼らのルーツは「80年代的なおたく」にあり、かっこいい「西武セゾン文化」=新人類に「きわめて強く憎悪していた」からだと。これはどうなんだろう。ヒルズ族がそこまで「西武セゾン文化」に対してルサンチマンを抱いていただろうか。ホリエモ○あたりならそうかもしれないが。

 

企業メセナだって、そもそもはバブル時代、税金にもってかれるくらいなら、冠イベントを開いたり、美術館を建てようとか、そんな発想なわけで。文化が成熟、爛熟するのはこういうお大尽が金ヅルとしていなければ。いまだに継続しているのは、ほんとに経営基盤が良好なところやメセナに理解のある企業のみってのが現状らしい。

 

「不思議大好き。」は予言の言葉?

 

話は戻るけれど、「おいしい生活。」の前に「不思議大好き。」という糸井のキャンペーンスローガンがあった。当時の反科学ブームというのかオカルトブームやニューサイエンスブームを背景にしたスローガンだと思うが、それを百貨店の集客や売上げにどう結びつけるかがわかりづらかった。ニューアカの本を手にしながらカフェバーでカクテルなんかを飲むのも、その前にかっこいいものとして流行っていた。

 

何がいいたいのか。今にして思うとその後のオウム真理教の一連の活動にオーバーラップしている。オウムの教祖はぼくと同年代で、ルサンチマンの塊のような男だと思う。
YOUTUBEで勧誘アニメーションをはじめて見たけれど、紛れもなく「おたく」だ。

冒頭で「80年代を象徴する「新人類」と「おたく」」って二項対立されているけれど、
これは便宜上話をわかりやすくするものであって、その両方の資質を何ら矛盾を感じずに持ち合わせていた人だって(ぼくをはじめ)大勢いたはず。それこそが「おいしい生活。」だもの。って、堂々めぐり。

 

「内閉する連帯」でわちゃわちゃ

 

「同人誌が象徴しているのは、同じ情報をもっているということを根拠にした同種の仲間と、しかも、そのような仲間とのみ連帯しようとする、オタクの強力な志向である。オタクたちは、自分と同じようなタイプの人間とのみ、つまり、自分の直接の映し(鏡映)として成立できるような相手のみ、積極的に関係しようとするのだ」(同人誌コミックへの大澤真幸の記述)

作者はこれを「内閉する連帯」といっているが、ミクシィなどSNSは、まさしくこれに合致する。リアルとインターネットの違いはあるが。さまざまなコミュニティが隆盛を極めているのは、みんなオタク、もしくはオタク的になったことのあらわれなのだろうか。SNS依存症なる言葉が生まれるぐらい浸透している。均質化、均一化、もしくは同好の士、その狭いエリア内でマニアックな知識を競い合う。目クソ鼻クソを笑う(失礼)。

「80年代が現在にもたらしているものは、その時代の否定面の拡大にしか見えないところがある。たとえば、いま公共圏がひどく抑圧されているのは、あの時代、繁栄があったゆえに清潔感のようなものが増大して、ノイズを排除する意識が強くなったことを映しだしているようだし、階級差や階層化が進行しているのは、さっきも話した「差異化」が経済にも波及した結果のように感じる」

ある程度、社会人になってバブルを体験した者には、大なり小なり、何がしかの喪失感はあるだろう。特に業界のカタカナ職業のオヤジたちは。先日の飲み会でもその話になった。末端にいたぼくとて些少ながらその恩恵に預かったんだなと、いまにして思う。
うちの近所にバブルが弾けてからずっと塩漬けになった土地が、ここ数年、あらかた売れてミニ開発のペンシルハウスや低層集合住宅が建っているもの。

 

“オレ様”島宇宙ヘイトクライムの温床か

 

「価値観の「多様化」と「細分化」」について

「ひとりひとりの選ぶものが非常に恣意的になった」
「それは単純なよく使われる言葉だと「価値観の多様化」みたいなことだけど、「多様化」のあいだに、相互のコミュニケーションが存在していれば、なんの問題もない。-略-「内閉する連帯」は、相互の交通をほとんど認めない。それを「多様化」という安易な言葉だけで表現できるだろうか。」

インターネットと脳は同じスモールネットワークであることを知ったけど、
「内閉する連帯」は、島宇宙、もっというなら無数の“オレ様”島宇宙
無数にあるけど、相互にコミニュケーションもネットワークもないってこと。

「内閉する連帯」、「その中心が保守的になっていく。それが新しいスタイルを持って出現するとき、それは単純な保守主義とはまた異なる姿で、やはり新しいナショナリズムの様相を呈すると僕は感じるんです」

精神的鎖国。守りの姿勢になって、いつしかオタクはネット右翼になるという図式。
大学にとっちゃあありがた迷惑な用心棒だったサヨクによる学生運動が衰退して、
その結果、忍び寄るあやしげなカルトを防げなくなってしまった。
そんな手練手管のヤカラにとっては、“オレ様”島宇宙のバリアなんて簡単に粉砕できるんだろうね。

 

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