広告も、都市も、生き物である

 

 

『広告都市・東京 その誕生と死 増補』北田暁大著を読む。


作者はジム・キャリー主演の映画『トゥルーマン・ショー』と渋谷を題材に、現代社会における広告及び都市の機能や役割についての解釈を試みている。

 

「<発見>されるべき差異が消失したとき、資本システムは広告という意味媒体によって差異を自己生産し、私たちの欲求を創出する」

 

大筋はそうなんだけど、広告が作り出すイメージによる差別化が果たして、いま、店頭誘因や指名買いへの強力なマグネットになっているかどうか、正直なところ、疑問。


作者は広告には2つのモードがあるという。第一が「<隠れ>モード」だ。ぼくたちはさまざなモノに囲まれて暮らしている。そのモノ自体が、広告然とはしていないが、広告物ではないかと。ストア名の刷り込まれたショッピングバッグ、然り。ブランドロゴ入りのトレーナー、然り。モノの顔であるパッケージだって、よくよく考えてみれば、立派な広告物である。

 

第二が「自明なコミュニケーション空間の文脈を<壊乱>するモード」である。その例として作者は西武・セゾングループの文化戦略をあげている。西武百貨店、パルコに代表されるイメージ戦略。西武の総帥であった堤清二は作家・詩人でもあり、またパルコの礎を築いた増田通二は、教師だった。いわば異色のトップと石岡瑛子以下当時の広告業界の俊英たちがタッグを組んだイメージ戦略は、広告よりも、アートのカテゴリーに近かった。

 

作者は、マクルーハンの有名な「メディアはメッセージである」に倣い、「メディアはマッサージである」と述べているが、西武・セゾングループの広告は、80年代の都市生活者を刺激的にマッサージした。

 

以前、増田のレクチャーを受ける機会があり、その時、聞いたのとほぼ同一内容の話が出て来る。なぜパルコを渋谷公園通りにつくったのか。それは坂があるからだ。日本の魅力的な都市には、坂がある。坂道を上る、下る。そのたびに、微妙に変化する景観が楽しめると。「区役所通り」という無粋な名前だった坂を「公園通り」というおしゃれなネーミングにした、この功績も大である。

 

しかし、90年代に入り、バブルがはじけ、セゾングループが凋落するとともにイメージも色褪せ、「広告=都市・渋谷」もサマ変わりしてくる。メセナなど企業文化戦略が終焉してしまい、期を同じうして、シブカジ、渋谷系、コギャル、ガングロ。時代のスポットは、公園通りからセンター街へと移り、もうそれまでのトレンド発信地・渋谷ではなくなったと述べている。

 

「柏、大宮、町田、立川、相模大野など郊外の中規模都市がシブヤ化」したことにより、「ジモトでいいジャン」と、若者が渋谷に出なくてすむようになったことと、さらにケータイの急速な普及が、コミュニケーションをリアルからバーチャルなものへと変容させ、渋谷及び広告の地盤沈下に拍車をかけたとか。

 

しかし、渋谷は消費され尽くされて、いったん死んだが、また、別なカタチで息を吹き返した、ゾンビのように。と書いたが適切な表現かどうか。

 

広告も、都市も、いわば生き物、時代を映し出す鏡である。広告や都市が魅力的でないとすれば、魅力的でない時代ということになるのだが。


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