統計学に強いスピってる黒衣の天使

 

 

『超人ナイチンゲール』栗原康著を読む。

 

フローレンス・ナイチンゲールというと、クリミア戦争の白衣の天使とか、看護システムを構築した人ぐらいしか知らなかった。あ、あとは統計学を駆使してエピデミック(小規模パンデミックってことかな)を抑制したとか。

 

著者が著者だけにどんな評伝になるのか。これがマジおもしろい。ナイチンゲールの生涯をおもしろいとは不謹慎だと思われる人は著者が記載した参考文献を読み漁りなされ。

 

まず知らなかったのは、とんでもないお金持ち、ハイソのお嬢さんだったこと。両親が欧州漫遊していてフィレンツェで生まれたから、フローレンスという名前をつけた。
元祖花の都だもんね。

 

生まれついての旺盛な好奇心。これはわかる。それから16歳の時の神秘体験。日記の引用の引用。

「1837年2月7日、神は私に語りかけられ、神に仕えよと命じられた」

 

母に連れられて「農民小屋へ行く」。そこには飢えと病に苦しむ貧民がいた。この人たちをケアすること、救うことが「天命」であると思う。そのために看護師になることを決意する。24歳の時である。

 

ようやく看護師になるために実際にアクションを起こしたのは、なんと30歳。看護学校を出たものの、看護師に就くことは母親が猛反対。結婚すると、看護師の夢は遠のくので、相思相愛の男性とは泣く泣く別れる。当時の医療や慈善関係のハイソな人々の協力を得て外堀を埋めていく。そうこうするうちに月日が経ってしまった。

 

アイルランドカトリック修道院に併設された病院やパリの修道会を見学に行く。
彼女は「ロンドン・ハーレー街にある療養所の管理責任者」となった。そこで発明したのが「配膳用エレベーターとナースコール」。

 

クリミア戦争が勃発。イギリスはフランスと共にオスマン帝国支援のため、ロシアと戦う。近代戦争の始まりは第一次世界大戦といわれるが、すでにクリミア戦争からスタートしたと。最新兵器により死傷者は圧倒的に増える。多数の負傷兵は十分な看護を受けることができない。不衛生な環境、恐ろしい「感染症」も猛威をふるう。

 

ナイチンゲールは自費でクリミア行きを決める。同時に、政府から「看護団の総監督就任」が要請された。彼女がすごいのは強引なまでの突進力。ひどい環境の野戦病院。責任者(軍人とか官僚とか)は彼女のことをうざがる。すると、知り合いのエライさんから根回しする。政治力がすごい。

 

クリミア戦争で日増しに増える負傷兵。足りない施設、用品、食糧品などなど。待っているうちに死んでしまう。どーする。私財を投げうった。破壊されたままの病棟は、人を自ら雇い入れ、改修した。

 

背に腹は変えられない。倉庫に、たんまりある補給品を傷病兵のために強奪した。
「ハンマーをもった天使はこういった。強奪はケアでしょ」

「日銭」稼ぎで新聞記者をしていたマルクスも絶賛した。

 

兵舎病院を徹底的に衛生面と食事面の改善に取り組む。その結果、死亡率は著しく低下した。

 

次に彼女が取り組んだのが「クリミア戦争の報告書」だ。「近代統計学の祖、アドルフ・ケトレー」の本をもとに、「統計学を駆使して1000頁の報告書」を作成した。
クリミア戦争の死亡率を統計でしめす。グラフ化する」ケトレーらに助言を求めた。
理系女子の面目躍如ってとこ。


ナイチンゲールの思想を作者は「脱病院化」とよんでいる。

 

「「病院」を前提とすることであたりまえになっている、治療する側と治療される側の垣根をこえようとしていたのだ」

彼女いわく
「看護はひとつの芸術であり、それは実際的かつ科学的な、系統だった訓練を必要する芸術である」

 

「救うものが救われて、救われたものが救っていく。日常生活のなかで、そんな新しい生の形式をつくりだすことができるかどうか。それにふれた人びとの魂をどれだけゆさぶることができるのか」
作者らしい暑苦しい文章だが、これがケアなんだと。

「国家にケアをうばわれるな」


彼女は白衣ではなく黒衣の天使だった。若い時の無理がたたったのか、後半は体調を崩していたそうだ。享年90。思った以上に長寿だったが。

 

映画化するなら、エマ・ストーンが演じればいいと勝手に思う。

 

フローレンス・ナイチンゲール

劇団四季ミュージカル『ゴーストアンドレディ』

原作漫画『黒博物館 ゴーストアンドレディ』藤田 和日郎




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