露光する愛―泣く女は、撮る女で、獲る女で、執る女で、キスする女

 

 

 

 

『たまもの』神蔵美子著を読む。


表紙に使われた、泣いているセルフポートレイトの写真に、ノックアウトされた。

それがすべてを物語る。

 

一人の女が二人の愛する男についての写真と文章。一人は編集者スエイ。もう一人は文芸評論家ツボウチ。

 

十年たっても、二十年たっても、変わらずに好きっていう火種がチロチロと燻り続けていてすぐにでも業火になってしまう、それがほんとの愛なんじゃないんだろうか、愛。

 

どうして愛する人が一人でなくちゃいけないの。それがインモラルなことなのか。
とでも言いたげなモノクロ写真。

 

愛するがゆえに、愛する人の元へ行くなんて、シンプルなことは、もう、たぶん、ぼくにはできないから、はあと息を吐くだけ。

 

泣く女は、撮る女で、獲る女で、執る女で、キスする女。

 

被写体となった前夫も現夫も、素のまま。すっかり気を赦しているのだろう、実にいい表情。

 

桜、街並み、親族、旅行。ふつうのアルバムと同じなのだが、時折り挿入されている情事、秘め事、不倫。

 

ここまで、あからさま、あっけらかん、あけっぴろげ。心変わり、そのサマが、たんたんと映し出されている。きっぱりと別れられるはずもなく、白黒つけられはずもなく、
未練だの余韻だのがグラデーションで、翳りとなっている。

 

街の風景を撮った1枚に、たまたま、ぼくが行きつけの内科医院もあって、ドキッとした。そういえば、すぐそばに、彼女のフォトスタジオもあったっけ。

 

写真や映像で風景が出ると、どこなんだろと思ってしまうのは、なぜなんだろ。

シャッターを切ることで、その瞬間が永遠のものにでもなれば。向こうのシンガーソングライターのラブソングを聴いてる気分。

 

映画ならドキュメンタリー。屋根裏から、睦みごとを覗いている気分。こっちまでドキドキしてくるのは、それだけ写真に力があるから。それと添えられている文章もさりげないが好きだ。臆面もなく言ってしまうが。

 

写真集というよりも写真で撮った私小説

 

裸を見せるよりも、裸の心を見せる方が、恥ずかしい。

 


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