『ネオリベ化する公共圏』すが秀実 編 花咲政之輔 編を読むと、いかに大学が知のディズニーランド化していくことに躍起になっているかを知り、興奮ではなく愕然とする。
第一、早稲田大学の学内で、たとえ部外者であったとしても、ビラまきするだけで不当逮捕(しょっぴいて警察に引き渡す)とは。ヘタレプチインテリゲンチャサヨクぶりたがる大学生たちが抵抗の素振りを見せようものなら、威力業務妨害で警察を学内に呼び入れるのは、なあ。大学側のいうことをきかない教師は見せしめとしてセクハラを名目に首を斬る。
少子化に備えて大学は数々のイメージ戦略を図る。タレント教授の招聘、スポーツ特待生によるスポーツイベントでの知名度のアップ、既存学部を当世風のワケのわからない学部名にしたり、有名建築家による校舎、法科大学院やシルバー世代向けのオープンカレッジの整備。そのうち風紀委員会が校門前に立ち、汚い格好の若者は追い返されるやもしれない。そっか、タレント教授は「ウエルカム!」と一緒に並んで撮影してくれるミッキーネズミの着ぐるみなのか。
確かに大学とてショーバイだから、減りつつあるパイをいかに囲い込むか、智恵の出し合いでサバイバル競争を勝ち抜いていかなければならないことはわかる。
大学の自由と自治は、大学の完全監視下にある限定された「自由と自治」に気づかない学生たち。そんなところに親は懸命に生活を切り詰めて学費や生活費を捻出する。パケ代などとてもその額じゃ文化的な暮らしはできないとアルバイトに明け暮れる。
で、これは大学ばっかじゃない。社会もそうだと、松沢呉一が書いているのだが、鋭い。「エロ」「わいせつ」「不快」「迷惑」と思われるものが、東京都などの浄化作戦により一掃されてしまったと。ちょっと前まではコンビニでエロ本は立ち読みできたが、いまではビニールのカバーがかかっていて立ち読みできないのも、これか。松沢はいう。「「見なくていい自由」すなわち「不快なもの、迷惑なものは潰していい自由」という論理が出てきた」と。サヨクもウヨクも「すべて潰せる」「便利な言葉」だと。
Webやブログの祭りや炎上などは、「「不快なもの、迷惑なものは潰していい自由」という論理」の表れともいえるが、結局は自分で自分の首を絞めていることに気がつかないのだろうか。
「浄化」って言葉がなんか気持ち悪いなと思ってた。ま、毒出し、デトックスってことだけど、そう、「民族浄化」の浄化か。都市再開発は都市浄化か。
最終章の「早大文学部ビラまき不当逮捕を許すな!」で気になる箇所。
「ビラ・アジ演説・シュプレヒコールは古い。今の学生はそういう形式だけで拒絶反応を示してしまう」
「2ちゃんねるやmixiに象徴される虚偽的な共同意識・情報に幻惑され、コミュニケーションが極限まで空疎になっているある種の現代の若者たちにとって、ビラまきやアジ演説という自らの身体を用いて表現する行為・行為者は「自らの存在を脅かす恐怖」の対象でしかないというのは理解できる」
じゃなくてオンラインとオフラインをうまくつないでいく手立てを考えないと。考えて実行してそれなりの成果があると、また、潰しにくるから、また考えないと。結論は?って、それは一人ひとりが考えること。話し合うこと。
昔書いたブログから。
