暴力には「肯定的に見るべき暴力が、間違いなく存在する」

 

 

『死なないための暴力論』森元斎著を読む。

 

暴力はいけない。「暴力反対」と決まり文句のように言われているが。はてさて、「暴力反対」とはなんだろう。どんなことを意味しているのか。作者は考えを進める。

 

「完全なる「暴力反対」はマジで難しいということだ。―略―好むと好まざるとにかかわらず、人間は暴力にまみえているのだ。メルロー=ポンティという思想家は、「暴力は、我々が肉体を持った存在である限り、我々の宿命なのだ」とまで述べている」

 

暴力をこのように定義づけている。

 

「暴力とは、ある(あるいは複数の)出来事ないし存在者が、他のある(あるいは複数の)出来事ないし存在者に力を不当に行使することである。そして、ヒエラルキーの上位の諸存在が下位の諸存在に暴力を行使することは常態であり、下位の諸存在は不当にも暴力を行使されることが常態となる。そして、ヒエラルキーの下位の諸存在は攘夷の諸存在による暴力を妥当なものだと解釈して結果的にヒエラルキーを支えてしまう。ただし、上位の諸存在に対して抵抗という仕方で暴力を行使することもある」

 

具体例を挙げるなら、男性優位主義(マチズモ)からくるジェンダー不平等(男尊女卑とか男女間賃金格差とか議員や管理職の数)。厳しい年貢の取り立てに一揆を起こして代官に反抗する農民たち。これらは「構造的暴力」だそうだ。


「戦争のように劇的ではなく、静かにひっそりと、緩慢に行使される暴力」

 

フーコーの生政治か。

 

ガンディーの名言に「非暴力を用いることだけが、真の民主主義にいたる道なのです」というのがあるが、作者はそれを批判している。マンデラキング牧師、マルカムXらの「非暴力的抵抗」の違いを取り上げているが、おいおい、それって「非暴力」じゃないじゃん。やっぱ、暴力を振るわないと「フランス革命ロシア革命キューバ革命も」成功しなかったのでないかと。

 

「暴力には否定すべきものと肯定せざるをえないものがある」

ここね。

 

「汝の右の頬をうたば、左をも向けよ」でも、そう見せて同時に相手の股間あたりをキックするってことかな。

 

それでも、まだ、あなたは「暴力反対」を支持するのだろうか。

 

「暴力はよくない」「これは暴力の一面にすぎない。国家や資本主義といったヒエラルキーの上位に従って暴力をふるうのか、それともそれらに対して自分や周囲の人々を守るために暴力を使うのか、私たちは暴力を大切に、慎重に、時にラディカルに扱うべきである。本書で紹介してきたように、肯定的に見るべき暴力が、間違いなく存在するのだから」

 

グレーバーの説から作者は「私たち誰もが持つ「潜在的な(暴)力」の道筋と可能性を」述べている。

 

「力は、ヒエラルキー上位に与するとき、下位にいる者を支配す、搾取する暴力として現れる。一方で、ヒエラルキー上位に抵抗するときには犯暴力としたあるいは下位同士が支え合うときには相互扶助とした現れる。そして、相互扶助は国家とは異なるコミュニティをつくりだす」


もっとも同意したところ。

「2023年に税収が過去一だった日本政府は、さらにカネ儲けを企んでいる。所得税の税率も世界のなかでもかなり高いのに、今後インボイスなるもので私たちの収入はさらに搾り取られ、タバコなどの贅沢品も値上がりしていく。その一方で、過去30年間の
平均年収は変わらず、実質下がっている。これは国家が無策が故の、民衆への暴力である」

 

税金は国のカツアゲか。

 

アナキズムというと栗原康のパンキッシュな文体が脳裏に浮かぶんだけど、著者の文体もなかなかのもので、これまでの著作を掘っていくつもり。

 

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