「産環業革命」から「環業革命」へ

 

 

『環業革命』山根一真著を読む。

 

地球温暖化による人類の滅亡-それが防げるかどうかというギリギリの瀬戸際で、意識ある科学者、技術者、企業、そして自治体や大学が必死に新しいエコ時代の構築に向かっている」

「環業革命は、静かに、そして大きく確実に動き始めている。そのいずれにも共通するものは資源を徹底的に有効に使う「モノ活かし」であり、使い終えたモノを見事なまでに再資源化するための「モノ壊し」であり、それを巧みに元の資源に循環させる「モノ戻し」の技術だ」

この本には作者がいうところの「環業革命」が起きているさまざまな現場、それこそ世界中、へ出かけて、その実感をルポルタージュしている。

 

作者は平たくいってしまえばエコおタク。エコ伝道師。実際に自宅に建てたエコハウスも実験室のようなものだし。

 

「循環型社会」と「環業革命」が意味するものはほぼ同じだろう。しかし、作者が新しい造語を作るからには、いい意味での啓蒙であり、エバンジェライズ(布教活動)なのでもあるだろう。

 

本書に出て来る「CO2排出量上位国における排出量シェア(2000年)」によると、アメリカが23.9%、中国が13.3%、ロシアが6.4%、日本が5.0%、以下インド4.0%、ドイツ3.4%と続く。

 

京都議定書」に条約締結しなかった、最大のCO2排出国・アメリカ合衆国が先日のハリケーンで大きな被害を出してしまうのは、因果応報、身から出たサビといってしまえばそれまでなのだが。対岸の火事じゃない。

 

「循環」とはすなわち「輪廻」であると作者は述べている。「火葬によって、人は骨とわずかな灰になる」そして「体の大半は燃焼によって」二酸化炭素になって「大気中へと拡散している」。

 

それを植物が光合成によって成長の糧として取り入れ、「動物たちはその枝葉を食べエネルギー源とする」「その植物と動物たちを私たちは食物として摂る」。「その炭素循環を前提に、地球上のあらゆる生物は生命を維持してきた」。しかし、「その輪(環の字でもいい―筆者註)を破綻させている」のは、自分たちの快適で便利な文明の進歩のために、やみくもに石炭・石油などの化石燃料の「火」を浪費して、その結果、二酸化炭素を増量させた、私たち人間なのだと。

 

しかし、嘆いたり、憂いたりするのは、宗教家や文学者にまかせといて、小さなことからコツコツと創意工夫に立ち向かう、これが「環業革命」の真髄なのだと言いたげだ。

たとえば、プラスチックゴミからコークスをつくる技術、生ゴミから生分解性プラスチックをつくる技術など、21世紀の錬金術には驚くばかりである。

 

『デジタル産業革命』、『メタルカラーの時代』など著作のタイトルのつけ方がいつもうまいと感心する。

 

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