『DJヒロヒト』高橋 源一郎著を読む。
分厚いが、読み出したら、面白くて、面白くて。『日本文学盛衰史』のスタイルを、さらに発展させた感じだそうだ。にしても、膨大な資料(著作や記事など)を読み込んで、
そこから大胆にリミックスしている。なぜDJなのか。大日本帝国の命運を、ある意味、DJエディット*していたからなのだろうか。
ランダムに一部をセットリスト風に紹介を。ちと、無理くりだけど。
01.熊楠と天皇ヒロヒト。有名な神島での出会い。熊楠は反神社合祀運動で森の伐採に反対した人。さらに大逆事件との関連も。おつきの人は反対したが、ヒロヒトは押し切る。森永キャラメルの空き箱に入った粘菌を贈呈した。
02.理化学研究所の仁科芳雄。彼も原爆の研究をしていたが、アメリカに先を越され、広島、長崎に落とされる。「『新青年』に掲載された『桑港けし飛ぶ』」。これは、
日本がサンフランシスコに原爆を落としたらというSF小説。行幸で理化学研究所を訪ねたヒロヒトと原爆について話していた。
03.親王時代のヒロヒトに帝王学を授ける『東宮学問所』の経緯。ご学友が集えば、気分はホグワーツ魔法学校か。
04.「教育勅語」ができるまで。
05.金子フミコの生涯。「社会主義おでん」で会ったパク・ヨル。そしてもう一人のフミコ。林フミコとも。
06.関東大震災が起きた日、寺田寅彦は、室生犀星は、折口信夫は、志賀直哉は、ヒロヒトは。
自警団を目撃した岩波茂雄と小林勇は。
07.ヒロヒトにラジオの存在をレクチャーした西洋通の森鴎外。
08.戦場に行った作家たち。武田泰淳、古山高麗雄の生涯に与えた戦争の影。
09.「日本人従軍慰安婦でただひとり名乗りをあげた」MY。こんな女に誰がした。南洋行の船には、取材に行く林フミコもいた。後に『浮雲』となった。
10.中島敦のヰタ・セクスアリス。いやはやセクハラ先生だったとは。「南洋庁の国語教科書編集書記」として南太平洋へ。MYとの出会い。
11.「南方慰問団」の一員として参加した古関裕而。「南方の民謡を研究・採集」が目的。それが後年「モスラの歌」作曲となる。
12.熊楠とナウシカのエコ談義。
13.ラジオ嫌いの永井荷風。
14.DJヒロヒトのラジオ番組、オープニング―かつては戦時特別地下壕だった附属室のドアを開錠する。そこにはラジオブースがある。
*DJエディットとは何ですか?
既存の曲をDJ用に編集作業を加えること。 DJには不向きと思われる箇所をカットして短くする、楽曲の一部を繰り返す、長くすることで繋ぎ易くするなどDJ演奏用に編集を行うこと。
エディット | レコード用語 - Always Listening by Audio-Technica(オーディオテクニカ)より