『それがぼくには楽しかったから 全世界を巻き込んだリナックス革命の真実』リーナス・トーバルズ+デイビッド・ダイヤモンド 風見潤訳 中島洋監修を読む。
ハイセンスないわゆる北欧デザインが光る携帯電話のノキア、「ムーミン」の原作者トーベ・ヤンソン、独特の映像美学でコアなファンがいる映画監督アキ・カウリスマキ、そしてリナックスを開発したリーナス・トーバルズ。共通しているのは、みんなフィンランドであるということだ。人口より携帯電話が多いといわれる国、フィンランド。
作者曰く、「(フィンランドは)比べる国がないくらい新しいものが好きである」「この国は昔からテクノロジーを素早く自信をもって採り入れてきた」。本書は、リーナスのこれまでの半生―半生もいってないか、だって、まだ30才そこそこだものーを取り上げたものである(発刊当時)。
彼とコンピュータとの出会いは、統計学の教授をしていた祖父の古いコンピュータだった。大抵の男の子はスキーやアイスホッケーに夢中になるのだが、彼はそのコンピュータで、自分でプログラムを書き始めた。
「コンピュータという世界の中では、君は造物主だ」「(コンピュータの中で起こるすべてのことを支配する)OSを作るというのは、世界を作ることだ」
作者にとってOSを創る悦びは、まさに「神」と肩を並べるクリエイティブな行為なのだろう。
なんていうか自然体なんだよね。ほんとに、楽しかったから。ほんとに、好きだったから。というのが、作者の最大のモティベーションになっている。なかなかこうはいかないけど、こういう生き方ができたら幸せだと思う。
あ、言っておくけど、とはいえ本書は、サクセスストーリー本の範疇に入るので、読んでいる間は、ほんわりといい気分になれる。勝者ならではの事実としてのリアリティもある。
彼はよくマイクロソフトのビル・ゲイツと比較されるが、スタートラインは多分同じコンピュータオタクだったのに、どこでどう違ってきたのか。
とまれ、フィンランドと寒さがさほど変わらないニューヨークよりも、陽光あふれるカリフォルニアが好きな作者は、こう述べている。
「ぼくはテクノロジー屋として、テクノロジーが何も動かさないことを知っている。社会がテクノロジーを変化させるのであって、その反対じゃないんだ。テクノロジーは、ぼくたちにできることとできないことの境界線を引くだけだ。どれくらい安くできるかという境界線を引くだけだ」
ほらね、実にいいことを言っている。普遍的でありながら「安くできるか」というコストにこだわる。この現場からの発想が、いいよなあ。
作者のような人間が生まれたフィンランドの教育システムも素晴らしい。日本じゃゆとりの教育とかで、レベルダウンしたカリキュラムが展開されようとしている。個人のいちばん優れた資質を引き出す、または、個人が望むべき道を示唆するような骨太(?)の個性化教育は、ちゃんと、できるのだろうか。
オヤジよりも前途ある若者に読んでもらいたい本。そういうわかりやすい翻訳だし、ブックデザインもそうなっている。読めば、自分の目の前が急に開ける人も、きっと、いるはず。