『ブローティガン東京日記』リチャード・ブローティガン著 福間健二訳を読む。
ブローティガンが日本にいたのは「1976年5~6月、1ケ月半」だそうだ。
旅にしては長いが、滞在にしては短い。
「はじめ」で第二次世界大戦・ミッドウェイ島で日本軍の攻撃により亡くなったエドワード叔父さんのことを書いている。大好きな叔父さんを殺した日本人に憎悪を抱いていたと。「17歳の時に芭蕉と一茶を読んだ」「日本の絵画と絵巻物を見た」。禅を知り仏教に興味を抱いた。嫌いで好きな国・日本へ―。
異邦人である彼のTOKYO体験記。ならぬTOKYO体験詩。パチンコをしたり、コンサートに行ったり、バーで飲んだり。明治神宮に行ったり。新幹線に乗って長良川まで黒テントの芝居を見に行ったり。カズコ(翻訳家・藤本和子のことか)を見舞いに行ったり。
おそらく夜遅くホテルに戻って来てその日、心に残った出来事を記憶が新しいうちに短い詩に認める。それはHaikuのようなもの。短時間で書かれた詩は、浅漬けのようなものだが、そのせいか、いま読んでも鮮度を感じる。
「ロマンス
ぼくは十五秒間
日本のハエをみつめていた
はじめての日本のハエだ
かれは三井ビル広場の
赤いレンガの上にとまって
日の光をたのしんでいた
ぼくに見られているのも気にしないで
かれは顔の汚れをとっていた おそらくそのあと
お昼を食べるデートの約束があったのだ
未来の花嫁、あるいはただの
いい友だちというのかもしれないけれど
美しいメスのハエと
三井ビル広場で
正午に
東京 1976年5月17日か18日」
一茶の「やれ打つな蝿が手をする足をする」を彷彿とさせる。
旅行や出張などで知らない都市を歩くのは国内でも国外でも楽しい。スマートフォンがなかった頃は、地図やガイドブック片手に歩いた。なぜか探偵気分で。
カフェやレストランでおぼつかいない外国語で注文する。無事、イメージ通りのものが来ると、心の中でガッツポーズする。ちょうどぴったりの詩があった。
「ヒラリー急行
日本のレストランでのぼくの最初の食事
カレーライスを
だれの助けも借りずに注文した
大成功だ!
ふらつきながら最初の一歩を踏みだした
小さな子どもみたいな気分だ
征服するぞエヴェレスト!
1976年5月16日」
素朴な疑問。何度か出て来るシイナ・タカコは、恋人だったのだと思うが、その後、どうなったのだろう。
ふと、ミシェル・ビュトールの『時間割』を思いだした。