ペソア入門書、ペソアガイドブック、ペソアファンブック、ペソア布教本…

 

 

フェルナンド・ペソア伝-異名者たちの迷路-』澤田直著を読む。

 

ペソアの人生と「70もの人格」により書かれた作品を辿り、その魅力やペソア愛が伝わってくる。異なるペンネームで異なるジャンルの文章を書き分けるのでなくて、オートマティズム、お筆先というものなのだろうね。


ペソアほど引用を誘発する二十世紀の詩人は稀だ。ペソアの言葉には太古の響きが近代の意匠をまとった立ちのぼるようなところがあり、この共振力によって、多くの作家、映画監督、造形作家、ダンサーなどがペソアに引き込まれていった。イタリアの作家アントニオ・タブッキペソアの多くの作品を翻訳しただけでなく、ペソアをふんだんに引用した小説『インド夜想曲』(1984)を書き、さらにはペソアが登場する『レクイエム』(1991)をポルトガル語で書いてしまうほど、この詩人にのめりこんだ。また、ポルトガルノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴは、ペソアの異名者たちが登場する『リカルド・レイスの死の年』(1984)を書いている。この磁場の及ぶのは文学だけではない。映画監督ヴィム・ヴェンダースに『リスボン物語』(1994)を撮らせ、振り付け師のロリン・カールソンに、ペソアを主人公にしたダンス『ドント・ルック・バック(過去を見るな)』を作らせたのも、ペソアの断章群が持つ、恐ろしいまでの共振力ではなかっただろうか」


はじめての異名者「騎士パス」が現われたのは、ペソアが6歳の時。孤独で早熟、語学に長けた子ども。まさに「三つ子の魂百まで」。空想癖や妄想癖のある子どもは珍しくはないが。

 

母親の再婚に伴い、ポルトガルから南アフリカへ。義父は在ダーバン領事となる。ハイ・スクールでの英語の成績はトップ。奨学金で英国の名門大学への留学へ行けるはずだったが、「英国籍」ではなかったため、再びポルトガルに帰ることになる。

 

代表作である『不穏の書』は底知れない断片の集積体、宇宙なのだが、「重要なモチーフのひとつに「旅」がある」とか。

 

「ただし、この旅は現実の旅ではなく、けっして行われることのない旅である点に留意したい。ソアレス(ペソア)は、しがない仕事を辞め、ドウラドーレス通りから出ていく日のことを何度も夢想する。だが、その出立の時を思い描く瞬間から、その時がけっして訪れないことも彼は知っている。出かけないうちから、退屈でたまらなかったこの職場が懐かしくも思い出されるのだ」

 

オフェリアという恋人がいたことを知る。結婚も考えるが、結局、それは旅と一緒だった。なんてこじれた恋愛感情。婚約破棄をしたキェルケゴールカフカと同様に。

 

まるっきり孤独だったわけではなくて、近くには家族や親族が住んでいた。ただし、書くには孤独が絶対条件だったようで、生活を維持するための仕事を最低時間こなして、残りは執筆の時間に費やした。

 

「フランスの思想家ジル・ドゥルーズは、作者というトポス、あるいは異名者という「出来事」に関心を示した」

 

「あらゆる作家、創造者はひとつの影です。プルーストカフカの伝記をどのように書いたらよいのでしょうか。ひとが書きはじめるやいなや身体に対して影のほうが優位に立つのです。真理とは現実存在の産出です。それは頭のなかにあるのではなく、実際に存在するものです。作家は現実の身体を送り出します。ペソアの場合には、それは創造的な人物のように見えますが、実はさほど想像的ではありません。彼はこれらの人物にそれぞれのエクリチュールと機能を与えているのですから。しかしペソア自身は、これらに人物がすることだけは絶対にしない。まず作者の体験があって、それを物語る「たくさん見たし旅もした」式の文学では、たかが知れているのです」(『記号と事件』ジル・ドゥルーズ 著者訳)

 

ペソア山は、、まだ未踏峰の山なのかもしれない。はてさて、いま、何合目あたりを登っているのだろうか。


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