愛は幻―「本能が壊れた動物である人間は幻想する動物である」

 

 

超々久しぶりに岸田秀の本を読み出す。


『唯幻論物語』。自己分析、自己批評。私小説的味わい。この本は小谷野敦へのアンチテーゼ本として書かれたそうだ。出だしからして、岸田節、バリバリ全開。精神分析キライの心理学者。なんとアンヴィヴァレントな。

 

いまだにいかがわしい、トンデモ学問のイメージを拭えない心理学、巷にあふれる心理学者、心理本の数々。占い師の親戚扱いされてるようじゃ。ただこうもいえる。だからこそ、そのいかがわしさの中から、新しい発見もあると。

 

そんなことをきっぱりと否定するであろう孤高の作者は、こんなことをいってしまう。

 

「本能が壊れた動物である人間は、現実に適合できず、幻想を必要とする。人間とは幻想する動物である」

 

カラ~イ!(アマ~イ!byスピードワゴンの抑揚で)文明化した=本能が壊れた、と定義しているのだろう。

 

ぼくぐらいの世代、上下数歳までなら、『ものぐさ精神分析』以下一連の本にかぶれた人も多少なりともいるはず。

 

確か「セックスとは膣を対象にした自慰である」という名言にシビれた。正確には覚えてないが、主旨はそんなこと。栗本慎一郎の『パンツをはいたサル』ぐらいシビれた。

頭ではそう思っていても、若い肉体はそうは思わなかった。こういう心身二元論的修辞は、岸田先生に嫌われるんだろうな。

 

ちょうど、アニメ版『はちみつとクローバー』の主人公たちの年頃。竹本がチャリで北海道を走っている頃、池袋西口の薄暗いジャズ喫茶かなんかで岸田秀を読んでいた。

 

大貫妙子の初期の曲に『愛は幻』がある。いま聴いても名曲。

 

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