人がまちがえるのは、脳がまちがえるからだ

 

 

『まちがえる脳』櫻井芳雄著を読む。


ヒューマンエラーを完璧に防ぐことはできない。だって、大もとの脳がまちがえるから。しかし、このまちがいが、災い転じて福となす。その最大の福が独創的なアイデアになる。など、「最新の研究成果」をかみ砕いて述べている。

 

「多くの失敗、つまりエラーの中から発明が生まれるということらしい。―略―このことは、わたしたちの社会では、きわめて当然のこととして広く受け入れられているが、脳の信号伝達の実態から見ても、きわめて当然といえる。脳の信号伝達は不確定で確率的であるため、必ずまちがいも起こるが、多くのまちがいの中から、斬新なアイデアつまり創造も産まれるということである」

 

セレンディピティは、脳がまちがえることで生まれるのか。

 

たとえば、小さい頃に住んでいた町を訪ねる。自分の記憶にあった町と様相が違っていて驚くことがあるが。

 

「記憶は不正確でありまちがいだらけであること、つまり、常に変容し続けることには、やはり大きなメリットがあることがわかる。面白い小説も、偉大な発明も、すべて記憶の不正確さのおかげである。物忘れや思い違いを起こすような柔軟な神経回路があるからこそ、つまり、どんなに信号を伝える精度を上げても、所詮は確率的に伝えることしかできず、ときどきはまちがえて伝えてしまうような神経回路があるからこそ、想像は生み出されるのである」

 

よく脳とコンピュータの類似性をあげて、コンピュータのような頭脳とか言われるが、それは文学的な比喩らしい。

 

「脳もコンピュータも、共に信号を伝達し処理することでさまざまな機能を実現している。しかし、脳は独特の確率的な信号伝達により、まちがえることも多く、記憶も不正確でありながら、多くの高次機能を実現し、損傷からも回復する。つまり脳はコンピュータのような機械とは本質的に異なっており、人が想像可能な精密機械とした理解することは難しそうである」

 

脳はヒューリスティクス、コンピュータはアルゴリズム。その違いだろうか。特筆すべきは、脳のリカバリー機能だ。「脳の半分が外科的に削除されて」も脳はちゃんと働いている実例には驚いた。

 

で、「心脳問題」について作者が考えを述べている。

 

「脳の活動が心を生んでいることは自明である。アルコール、薬物、損傷などで脳の活動が変われば、心も変わるからである。しかし逆に、心が脳の活動を制御できることもわかってきた。これが脳を機械にたとえることができない決定的な理由かもしれない。制御する側である心は、同じ脳から生じているにもかかわらず、制御される側の脳活動からは独立して働き得る。機械でこのような機能を備えたものはない」

 

「心が脳の活動を制御できること」「心が脳から独立して働き得る」は、知らなかった。

 

脳は一部しか使われていない。と思い込んでいる人は案外多いかも。だから無限の可能性がある。って幼児教育の脳トレのキラーワードだったけど、いまはどうなのだろう。

 

「脳は使われていない部分が多いという神話がある。しかし現在ではサイレントエリア(沈黙の領域)と呼ばれた大脳皮質のほとんどが、高次な機能をもつ連合野であり、特別な課題を行なわせると、破壊や刺激の効果がはっきり現れることがわかっている。また、活動していないと考えられたニューロンを発火させる刺激や運動が他にあることもわかっている。脳には使われていない部分がたくさんあるという迷信は、これで完全に否定できたはずであった」

 

タブラ・ラサ―人は「何も刻まれていない石板」のように白紙で生まれてくる。というのと似ているなとも。

 

進化が著しいAIに関しては「(コンピュータと同様に)AIは脳になれない」と述べ、こう書いている。

 

「今心配すべきことは、AIが人になることや、AIによる人の支配ではなく、この便利な道具のプログラムミスであり、すでに問題となっているその誤用と悪用である」

 

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