「人はなぜ学ぶのか。それは知恵を身につけるため」

 

 

『学問の発見-数学者が語る「考えること・学ぶこと」-』広中平祐著を読む。

 

特異点解消の定理でフィールズ賞を受賞した世界的な数学者の自伝。読み出したら楽しくてあっという間に読んでしまった。爽快というか痛快というかそんな読後感。

 

生家は戦前、織物問屋で工場も経営、大地主でもあった。商売が繁盛して大店のお坊ちゃまとして育った作者。戦後、家業は不振。農地も農地解放により手放す。
父親はプライドにこだわらず自ら商いに精を出す。実学を重んじる徹底したリアリスト。一方、母親は「成績は良くなくても」悪行をしなければいいというおおらかな性格だったそうだ。ふと、大河ドラマで見た澁澤栄一の両親と印象が重なった。

 

柳井高校から京都大学・大学院に進学、あるいは留学先のハーバード大学での先生や友人との出会いが、いかにいろんなケミストリー(化学反応)を起こしたか。

「数学というのは、最終的には論理的にやらなきゃいかんから、問題をどんどん制限していって、定式化して、やっと証明できるんですよ。だけど数学にしても出発点は人間が考えるわけだから、その背景には絶えず曖昧模糊したものがあるから、フィロソフィ(哲学)ですね」


これは梅原猛との対談の一部を引用したものだが、その第一歩が高校時代の友人との哲学などの語らいから生まれた。クラシック音楽にも惹かれてピアノを弾くことにも夢中になった。

 

父親は大学は受験勉強などしなくても入試に合格する本当に優秀な人間がいくものだと考えていた。作者は隠れて勉強をして、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹のいる京都大学理学部を受験、合格する。将来は物理学か、数学か。で、数学への道を選ぶ。

 

京大院生時代、岡潔の講義を受けるが、その内容が数学というよりは宗教のような印象が強くて中座した。恩師のすすめでハーバード大学へ留学。特異点解消の論文でトライ&エラーで苦心しているとき、一時帰国、その際、岡からの宗教めいた助言が、ブレイクスルーにつながったというエピソードが興味深かった。

 

日本とアメリカの教育の違いを述べている。

「日本の教育と米国の教育を比較すると、―略―平均性、一律性を重視する日本の教育に対して、米国は多様性を重んずるところがある」

 

一例として

「(米国では)地域によって教育が異なるのは当然といった地域を重視する考え方」。

 

さらに

「米国の学校教育が重視する多様性のもう一つの側面は、生徒の個性をできるだけ伸ばそうとする性向である」

 

「一人ひとり異なった個性を尊重する」

教育だと。どちらが良いかは断言していないが、

「まったく新しいことを創始する人間が米国から数多く輩出するのは、この国独特のそうした教育ではないか」


米国暮しでそう実感するようになったと述べている。

 

人間の頭脳とコンピュータ、AIなどの違いについて。これも、なるほどと感じ入った。

「人間の頭脳には、ものを忘れるという特有の能力がある。正確ないい方をするならば、コンピュータが記憶していることを自由自在に百パーセント取り出すことができるのに対して、人間の脳は、記憶したことをほんのわずかしか取り出すことができない」「人間の脳のみが有する「ゆとり」だと思う。この「ゆとり」が、実は知恵というものをつくる要素の一つなのだ」

「人間の頭脳は、不連続のものから連続したものを導き出す寛容性をもっている、と私はいった。いいかえれば、実は飛躍であることを飛躍でないととらえられるのが、人間の脳である。だから、人間は飛躍ができる、コンピュータやロボットにはそれができない」

 

「人はなぜ学ぶのか。それは知恵を身につけるためだ」

と。

ぼくなんかよりも若い人、いまの中高生に読んでもらいたい、マジで。

 

参考 特異点解消の定理についてもやさしく解説(?)

gendai.ismedia.jp


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