太宰というと、相原コージの「コージ苑」に出て来た、憂い顔の和服姿の腺病質の男を思い浮かべてしまう。そのコマには、お約束のように筆文字で「生まれてすいません」と書いてあった。いまどき、陰りある表情がウリなのは、故田村正和か稲垣吾郎ぐらいなものか。
ご他分に漏れず、ぼくも、十代の頃、太宰にハマった。ハシカみたいなもんだろう。大概は、文庫本を数冊ぐらい読んで、もっぱらその無頼派人生に憧れを抱くという、ティピカルなパータン。リストカット症候群、薬物依存症、アダルトチルドレンの先駆け的な面も多分にあるんじゃないのかな。
いままで太宰に関する文芸評論家や作家が書いた評伝の類は、読んだことがあった。だから、彼が津軽の裕福な家の四男坊として生を受け、若い自分から心中未遂を何度も繰り返し、ベストセラー小説家に仲間入りした矢先に、多摩川に入水してしまったのは知っていた。
本作は文学的アプローチではなく、当時の社会風俗、思想など、ジャーナリスティックな視点から人間・太宰治の再生を試みている。膨大な資料や太宰を知っている人々に綿密な取材を重ね、まさに、イチから構築している。面白くないはずがない。
たとえば、旧制高校時代、金にものを言わせて本格的な文芸誌を刊行していたこと。井伏鱒二など新進作家にも原稿を依頼していたとは。後に、その細いつてを辿ることになる。
また、プロレタリア文芸全盛期には、それらしい小説を書いてみたり、探偵小説がブームと知れば、犯罪小説を執筆してみたり。ともかく、家督を継いだ長兄から大学を卒業すれば、仕送りは打ち切りになる。それまでに職業作家として食えるようにならなければ。そのあせり、もがきが、あれほどまでに芥川賞にこだわり、選に漏れたら、うらみ、つらみに転じる。
名作と言われる「女生徒」は、送られてきた女学生の日記を素材にしたものであるというのも、知らなかった。後年、「斜陽」のモデルになった女性に日記を依頼し、同じ手法で作品に仕立てている。どおりで、リアリティがあるのか。
実にいろんな発見があったが、とりわけ興味を覚えたのは、太宰治と井伏鱒二の関係である。
小林信彦が、こう書いている。
「芸人とか作家とか、そういうマトモじゃない職業の人間は、老いる前に破滅してしまうか、老いても長く仕事をつづけるか、この二つしかないのである」(「コラムは笑う」より)
前者が太宰治なら、後者は太宰の師匠筋に当たる井伏鱒二だろう。彼にとってトラブルメイカー太宰は、不肖の弟子だったのか。太宰の遺書の下書きから「井伏さんは悪人です」という一文が発見される。それは、何を意味しているのか。
好々爺の代表のような印象が強い井伏だが、作者は、情け容赦なく、その仮面を剥いでいく。井伏の代表作である「黒い雨」にも、実は、原本があった。「重松日記」である。本作の終章で、引用ではなく盗作に近いのではないかと徹底的に検証している。
ここらへんは、ぼくは、ソースをもとに、うまくリミックスしたんじゃないのかなと考えるのだが、いかがなものか。作者は文壇の身内を庇う体質を批判しているのだが。
大宅壮一から「年取ったらオバサン顔になる」と、揶揄された井伏は、清濁併せ呑む処世術を身につけていたのだろう。生身の太宰治と生きてきた時代が、窺える。息つくヒマもなく、読んでしまった。