若者化する日本人

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち


『絶望の国の幸福な若者たち』古市憲寿著の感想メモ。

「「今日よりも明日がよくならない」と思う時、人は「今が幸せ」と
答えるのである。これで高度経済成長期やバブル期に、若者の生活満足度が
低かった理由が説明できる。彼らは「今日よりも明日がよくなる」と
信じることができた。自分の生活もどんどんよくなっていくという希望が
あった」
「しかし、もはや今の若者は素朴に「今日よりも明日がよくなる」とは
信じることができない。自分たちの目の前に広がるのは、ただの「終わり
なき日常」だ。−略−人は将来に「希望」をなくした時、「幸せ」に
なることができる」

なんだか井伏鱒二の『山椒魚』のような。
タコツボっていっていたのは、宮台真司か。
先の大きな幸せより、目の前の小さな幸せ。
住めば都的な自己満足。
絶望しているが、幸福とは、そういうことだったのか。

「データを見ても世代間の意識差はなくなりつつある。−略−
見田(宗介)によれば、特に1954年から1968年生まれの「新人類」
世代以降、意識差は小さいものになりつつあるという」

つまり

「言い方を変えれば、日本中の人々が急速に「若者」化
しているのだ」

確かに、世代差よりも個人差なのかもしれない。
モンスターペアレントだの、モンスターティーチャーだの
モンスターカスタマーなどは、その「若者」化の顕著な例かもね。
団塊の世代以前とポスト団塊の世代以降とには、
大きな裂け目がある。

「『AERA』の調査を受けて作家の津村記久子は、「ブスなら
化粧で化けられるし、仕事がなくても不景気だからと言い訳できる。
でも、『友達がいない』では言い訳ができない。
幼少期から形成されてきた全人格を否定されたように思ってしまう」

だから世代を問わず、ひっきりなしにケータイメールのやりとりを
しているのか。
『友達がいない』んじゃ、リア充は有り得ないのかな。
ムリしてつくらなくても、一人でいた方がいい時だってあるのに。

「今後ますます多くの若者が「正社員」や「専業主婦」という既存の
社会が前提とした「大人」になれないのだとしたら、彼らは年齢に
関係なく「若者」で居続けるしかない」

「まさに僕たちは、日本中の人々が年齢に関係なく「若者」化する時代、
その過渡期にいる」

山田昌弘言うところの「パラサイト・シングル」にも
つながっている。

「大人」になりたくてもなれないのと、
「大人」になりたくないのは、当然だけど違う。

いまどきの若者論と思って読んだら
いまどきの日本人論だった。
鮮やかな切り口ではないか。


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