ヒトは、白紙じゃ生まれてこない

 

 

『ヒトの意識が生まれるとき』大坪治彦著を読む。

 

よく言われることだが、人間以外の哺乳動物は、生まれてすぐ独り立ちができる。それに比べて人間の子どもは「まったく頼りなく、無力である」と。

 

ところが、本書によれば、人間の赤ちゃんは、お母さんのお腹の中にいる時から、強い光に反応し、低い音にも反応するなど「貪欲に外界の環境や事物を自分の内側に取り入れようとしている」そうだ。最新の発達心理学によると、子どもの意識のスタートラインは、誕生ではなく胎生期とすることが大勢を占めるようになってきたとも。

 

作者は「人間は白紙の状態で生まれ」そして「(2~3歳を過ぎた)幼児期において意識が誕生する」と固く信じている人々にNo!を突き付けている(ちょっと大げさ)。

 

「大脳の機能、大脳の働きを前提にすると、胎児の場合、胎生7~8カ月以降に『意識』が存在するものと考えられる」。ものごころは、すでに、母胎の中でついているのだ。


作者は、視覚機能や聴覚機能など認知能力の発達を胎児、早期産児、新生児でのさまざまな実験により検証している。

 

本書に、母乳運びをした父親は、子育てに協力的だというデータが載っている。そうなんだよなと大きく納得するぼくも、数週間ほどだろうか、毎日のように冷凍母乳を仕事場に行く前に病院に運んだ。もう30年近く前のことになる。

 

子どもは、早期産児、いわゆる未熟児だった。生まれてすぐに、近所の産婦人科から大きな病院に移され、哺育器暮らしが続いた。箱入り娘と呼んでいたが。まだ、自分の力で母乳を飲むことができないので、口の中に管を通され、わずかばかりの運ばれた母乳を飲んでいた。幸いなことに、子どもは、小さいだけで、後は元気いっぱい手足を動かしていた。

 

白衣に着替え、白い帽子をかぶり、両手をイソジンでよく消毒してから、中へ入る。哺育器の円い穴からそっと手を入れると、小さな手が握り返してくる。そりゃ、協力的になるよな。

 

「ヒトの『意識の誕生』は、他者とりわけ親(母親)との交流によってなされているといってもよい」と考える作者は、「子育ては単なるハウツウではない」と述べている。別段、早期教育だのクラシック音楽を聴かせるといった胎教も決して薦めてはいない。大切なのは、よく語りかけ、愛されている実感を伝えることだという。「子育ては妊娠中からはじまっている」のだから。
 
大昔書いたレビューから。

 

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