この世は『優しい地獄』

 

 


『優しい地獄』イリナ・グリゴレ著を読む。

 

ルーマニア出身の著者。黒澤明の映画が好きで、日本語にも興味があって日本語を履修する。日本文化に興味を覚えた彼女は留学生として日本に来る。

 

祖父母のこと、両親のことなど自身の出自がみずみずしく描かれている。つつましい手作りがメインの暮らし。なんだか昔話の世界のようなのだ。そんなに遠い昔ではないのに。

 

しかし、子ども心に感じた当時の社会主義国家の貧しさ、歪が書かれてある。団地暮し、父親は過酷な労働を課せられ、低賃金。

 

それからチェルノブイリ原発事故が作者の生地にまで与えた影響。たぶん放射能で汚染された農作物や水などを口にしていた。そのせいかどうかは確定できないが、「六年間に大きな手術を二つ受け」た。


日本に留学した経緯は書いてある。「北東北の獅子舞」が人類学者としてのテーマとか。そのことにふれていないのは、まとめて書籍化するからなのだろうか。

 

巧みな描写から映像が浮かぶのは、作者が国立映画大学出身だからなのだろう。

作者の見た映画、読んだ哲学、人類学の本にも惹かれた。


現在、二人の女児の母親。青森での日常生活は、細田守監督のアニメーション『おおかみこどもの雨と雪』を彷彿とさせる。『おおかみこどもの雨と雪』ではおおかみおとこの夫が失踪、亡くなって、妻は二人の子どもを自然が豊かな環境で育てたいと地方へ移住して自給自足の生活を始めるのだが。

 

夫は出て来るが、青森の郷土料理にも果敢にチャレンジする。代々伝わった手作りの精神で。子育てと研究で多忙な日々。明け方にスマートフォンで見る映画が息抜き。このあたり、映像で見たいなあ。

 

タイトルの『優しい地獄』のエピソード、引用。

「五歳の娘は寝る前にダンテ『神曲』の地獄の話を聞いてこう言った。「でも、今は優しい地獄もある。好きなものを買えるし好きなものも食べられる」。彼女が資本主義の皮肉を五歳という年齢で口にしたことにびっくりした」

 

「あとがき」で田中泯にメンバーの一員で踊りを見せたことが書いてある。舞踏。田中泯高橋悠治のパフォーマンスを見に行って編集者・八巻美恵と知り合う。文才を見抜かれてか、生き方に興味をおぼえられたのか、エッセイを書くきっかけになった。


母国語ではなく日本語で書く文章。それは、どのような感覚なのだろうか。ルーマニアの言葉で考えるのか、いきなり日本語で書きだすのか。アタゴ・クリストフ、多和田葉子須賀敦子…。表現する世界が通底している気がする。


本のプロフィールに書いてある「オートエスノグラフィー」という言葉がわからなかった。

 Wikipediaから引用。

「オートエスノグラフィー - Wikipedia
オートエスノグラフィー(英語:autoethnography)とは、著者が自己省察および著述を用いて、個人的経験を調査し、その自伝的なストーリーをより広い文化的、政治的、社会的な意味・理解へと結びつけるための、質的研究 のひとつの形態である。
 なお、日本語では自己エスノグラフィーとも言われる。」

オートエスノグラフィー - Wikipedia


忘れていた。決して恵まれた家庭ではなかった作者の知的好奇心や創造力を育んだのは、村の図書館だったそうだ。こういうものをまっ先に予算で削ろうとしている傾向にあるが、やはり、それは違うと思う。子どもへの公的投資はケチってはいけない。

 

人気blogランキング