「心には表面しかない(The Mind is Flat)」。その裏は?

 

 

『心はこうして創られる-「即興する脳」の心理学-』ニック・チェイター著 高橋達二訳 長谷川珈訳を読む。

「無意識の思考、深層心理、内的世界…。そんなものは存在しない! 」

この一文にインパクトを受けて読むことにした。おいおい、フロイトなどの心理学や意識の流れなどを捉えようとした文学にケンカ売ってるぜ!

 

「心には表面しかない(The Mind is Flat)」

 

心の構造は、自我、超自我エスから成っているとフロイトは提唱した。自我というのは、氷山に喩えるならば、海上に浮かんでいる部分だとも。作者に言わせれば、非科学的な比喩なんだろ。

 

「心の深みという、その発想そのものが幻想だ。心に深さがあるのではなく、心は究極の即興家なのだ。行動を生み出し、その行動を説明するための信念や欲望も素晴らしく流暢に創作してしまう。しかし、そうした瞬間ごとの創作は、薄っぺらで断片的で矛盾だらけ。映画のセットがカメラ越しには確固たる存在に見えても、じつは張りぼてなのと似ている」

 

経歴を見ると行動科学や認知科学が専門なんだ。どおりで。

 

「筆者の考えでは、心理学を芸術や人文学の一部とみなすのは、心の深部という錯覚の受け止め方として、まさに間違った道である」

素朴な疑問だけど、なぜ心理学や哲学が文学部なのか。ずうっと思っていた。

 

「心を科学するにはその正反対のアプローチ。すなわち、人間の知性の核をなす「即興のエンジン」が、いかにして脳の機構から構築されうるのかを理解することが必要だ。脳とは、つまるところ生物学的な機械である。より具体的には、およそ千億個の脳細胞が緊密に結びついたネットワークからなる一つの機械だ。創作し、即興し、夢を見、想像する生物学的機械(バイオロジカルマシン)なのである。神経回路中の電気的・化学的な活動が、一体どうして私たちの思考や行動の流れを生成できるのだろうか。それを解き明かすことは、科学の最も深淵な難問の一つである」

 

「人間の知性がこれほど素晴らしくかつ特異であるのは、この柔軟性こそが一つの鍵ではないかと推測している。人が世界に押しつける解釈は創造的、かつ、往々にしてきわめて比喩的であり、機械でこれまでに複製できた知性とはまったく異なっている」

好い加減といい加減。たとえば直観、思いつき、ひらめき。セレンディピティなんかは、「柔軟性」だからこそ。間違いやそれこそカン違いもあるが。アルゴリズムで生成されたコンピュータやAIなどに、ヒューリスティクスを求められても。

 

いちばんシビれた箇所を引用。

 

「誰もが過去を手引きとし過去に形作られた一つの伝統なのである。音楽、芸術、文芸、言語、法律がそうであるように、私たちは改善、調整、再解釈、そして大規模な改革をする能力がある。心の現在は過去から作られる。だからと言って想像力が、ずっと以前に作られた脳細胞に閉じ込められねばならない謂れはない。人は自分自身を作り、また作り直している。心の経路変更は緩慢かつ困難なのが常だ。だが、現在を意図的に変えることができる限り、そこには未来を変える希望がある」

 

「心には表面しかない」


ふと、北京ダックが脳裏に浮かんだ。薄餅に甘い味噌を塗り、香ばしく艶々な飴色に仕上げたパリパリのアヒルの皮と千切りしたキュウリ、白髪ねぎを包んで食べる料理。

香港へ行ったとき、香港、最後の晩餐でガイドさんに教えてもらった北京ダックの名店に行った。皮は十分においしかったが、肉もうまかった。でも、心は皮なんだよね。

変な結びで恐縮至極。


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