アメリカの影、少女マンガの影

 

 

『立ちどまらない少女たち-〈少女マンガ〉的想像力のゆくえ-』大串尚代著を読む。

2つの方向からざっくりと感想をば。

 

1.アメリカ文学が日本の少女マンガに与えたもの

 

アメリカ文学は日本の少女マンガの源流の一つであると、作者は述べる。
たとえば『キャンディ・キャンディ』。原作者と漫画家は、ルイザ・メイ・オルコットの『若草物語』、ルーシー・モード・モンゴメリの『赤毛のアン』をモチーフにしていると。作者は、ジーン・ウェブスターの『あしながおじさん』もあるだろうと。

 

残念ながら、ぼくは『キャンディ・キャンディ』はアニメ版をちらと見た程度なので詳しくは言えないが、『若草物語』や『赤毛のアン』、ローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小さな家』などアメリカ文学が日本の文学はもとより少女マンガに与えたものは、確かに大きいと思う。

 

ロマンチック・コメディの開拓者はトキワ荘の紅一点水野英子であると。
女性の視点から少女漫画を描いたという。

 

アメリカ文学からさらにアメリカのTVドラマや映画などにインスパイアされて「日本の少女たち」のためのマンガを描く。アメリカ人のキャラクターが登場し、女の子のあこがれの世界を描く少女マンガを作者は「アメリカン・ガール」と呼称している。

 

おとめチックマンガと言えば、個人的には陸奥A子。他の漫画家の作品は読んだことがないから。『たそがれ時に見つけたの』が代表作。ふんわかとしたラブコメなんだけどイラストタッチが斬新。で、描かれる登場人物のボーイ&ガールが当時人気のアイビールックだった。第二次アイビーブームが全盛。アメリカ東部の名門大学のキャンパスファッションが手本。

 

少女マンガというと大きなお目目に星がきらりといったイメージが強いが、そこに少年キャラが参入した。その代表的なものが吉田秋生の『カリフォルニア物語』であると。
ロックやドラッグ、アメリカンニューシネマなどアメリカのカウンターカルチャー
男性も女性もキリッとした吉田の絵は、ぼくには親しみやすかった。『バナナフィッシュ』なんてサリンジャーだしね。

 

2.日本の少女マンガが日本文学に与えたもの

 

吉本ばなな大島弓子論」が興味深かった。要するに吉本ばななの小説は大島弓子のマンガに感化されている、通底していると。作者が引用した橋本治の『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』からの引用。

 

「橋本は、大島作品はおしなべて、わからないところからわかったところまでを描く、ただしそこには「かなりの飛躍」があって私たちを驚かせると述べ、「わからない」と「わかった」の間を繋ぐものが彼女の作品であると言う。そこに読者を巻き込んだ一種の解釈共同体のようなものが形成される。このぼんやりとした感じが、ぼんやりとした感じのまま描かれながらも、そこになにものかを読者が読みとる共感の関係が図られるとすると、その「ぼんやりとした感じ」が―略―吉本ばななにおける少女マンガ的な特徴の一つであると考えるならば、『キッチン』から『アムリタ』に至る作品に、そのぼんやりした共感を描きながら、次第にそこからさらに広い世界へと漕ぎ出していく吉本作品の変遷を見てとることができる」

 

『キッチン』は森田芳光監督により映画化されている。まさに、少女マンガの世界を映像化した感じ。

 

作者は橋本治の『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』を参考書にしているようだ。
この本を読んだときの衝撃は大きかった。紛れもなく日本の少女マンガ評論の源流。もう一度、読まねば。


そうそう、山田詠美は確か明大漫研出身で、山田双葉というペンネームでエロ雑誌に漫画を発表していたことを思い出した。


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