「亡命文学論」沼は、底なし、底抜け

 

『亡命文学論 増補改訂版』沼野充義著を読む。


「亡命」というと亡命ロシア人がまっ先に浮かぶが。

 

「大量のロシア人亡命者の体験を通じて描き出された亡命文学の風景は、二十世紀のロシア文学が世界にもたらした貢献の一つとして挙げられよう」

 

まずは、ナボコフ

 

「亡命者の体験(特に言語に関わる体験)は個人差が大きく、一概には論じられない。バイリンガル作家として有名なナボコフの場合―略―ロシア語から英語に執筆を切り替えたのは亡命という環境によるところが大きいが、―略―彼のバイリンガル性は亡命後に獲得されたものでは決してなく、革命前ロシアの貴族社会に備わっていたバイリンガル的性格ゆえである」

 

ええとこのぼんだったナボコフ。フランス語もできるそうなのでトリリンガルか。

 

「二十世紀末にソ連から亡命した作家の中にも、ソルジェニーツィンのようにアメリカ合衆国で二十年間亡命生活を送りながら、アメリカ社会とはほとんど接触を持たず、英語圏での生活の影響をまったく受けなかった作家もいる」

 

アメリカに逃亡しても執筆環境、生活環境はソ連のままだったとか。


「長篇『紙の光景』やアメリカ体験記『悲しきベビーを求めて』を書いたワシーリイ・アクショーノフや、ニューヨークでのどん底生活をもとにスキャンダラスな自伝的小説『ぼくはエージチカ』を書いたリモーノフのように、日常的な環境の中で使われる英語にロシア語が侵食される過程を克明にテクストに記録した作家もいる」

ソ連ではちょいと知られた作家でもアメリカに翻訳本が出ていなければ、ただの人。
仕事もブルーカラーしかなくてプライドを切り裂かれた作家もいたそうな。

 

亡命作家は何もロシア人だけではなくて。

 

ポーランド出身のゴンブローヴィッチは、アルゼンチン滞在中に第二次世界大戦が起こりポーランドに帰国できないまま、亡命。彼はポーランド語で執筆した。面白いんだが、頓挫した『フェルディドゥルケ』や『トランス=アトランティック』などの作品を改めて読みたい。

 

また、ミラン“存在の耐えられない軽さ”クンデラは、「プラハの春」事件でソ連ににらまれ、チェコからフランスに亡命。チェコ語からフランス語で執筆するようになる。
それは自分のテクストを多国語に翻訳される場合、本人の意図するものとズレが生じる。ならば、翻訳を通さずにフランス語で書けばいいと。

 

違うかもしれないが、村上春樹がなぜ世界各国で読まれているのか。翻訳されてもニュアンスが異ならない日本語で書いているからなのだろう。デビュー作『風の歌を聴け』は、書き上げた日本文を英訳してそこから日本語に翻訳したというが。リーダビリティーという観点が同じだと思うが。

 

ニューヨークにロシア人街があっておいしいロシア料理が味わえることはガイドブックかテレビの旅番組で見た記憶がある。この本にも出て来る。


「遊園地で有名なコニー・アイランドの隣、ブライトン・ビーチ」。
「ブライトン・ビーチは、合法的な出国ビザを得てソ連から移住してきたユダヤ人たちが、一九七一年代以降に作り上げた一大コミュニティなのである。―略―その総数は約二十五万人にのぼると言われている」

 

ロシア人、ユダヤ人、ロシア系ユダヤ人。ううむ、その違いが。

 

ゴーゴリは確かにロシア語で作品を書いたが、―略―ウクライナ人であった。強硬な民族主義的なウクライナ人の目には、そのゴーゴリがロシア語で作品を書き、ロシア文学の枠内に入っていったことは「裏切り行為」にさえ見えるらしい」

ロシアの文豪・ゴーゴリってウクライナ人だったことをはじめて知った。

 

いやあ、熱い、厚い本。いままで知っていたことが、きわめて薄っぺらいものだったことをイヤというほど知らされる。んで、紹介される作家や詩人たちの作品は、未読のものばかりで、ブックガイドとしてもうってつけ。年々読み書きのスピードが落ちてきているんで死ぬまでにあと何冊読めるだろうかと、ぼんやり思う。

 

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