どこからどう読んでも、紛れもなく、今の恋愛小説である

 

 

『プラットフォーム』ミシェル・ウエルベック中村佳子訳を読む。

 

文化省でアート関係の企画に従事している四十歳過ぎの男、ミシェル。一年前、父親が死去してまとまった額の遺産が入ることになっている。父親が健康、スポーツおタクだったのに対して、彼は丸っきり正反対。自分の人生に何の期待もせず、束の間の享楽を愉しみながら、淡々と生きている。

 

物質的に豊かな西欧社会の中でも、そこそこ経済的に恵まれた独身中年男性の、なぜか満たされないライフスタイルを覗くことができる。

 

ミシェルの延々と続く饒舌なモノローグは、セリーヌの小説のようでもあるし、ゴダールの映画のようでもある(ぼくのレビューのようでもある?)。

 

そんな彼がツァーでタイを訪ねた時に、その同じツァー客だったヴァレリーと知り合う。はじめはそうでもなかったのだが、日増しに彼女への思いが強くなっていく。それまでは、さんざん世の中に、悪態をついてきた彼-いろんなものへの悪態ぶり、毒舌ぶりが相変わらず冴えている-だが、いざ彼女とパリで再会して、つきあい始めるとぞっこんマイってしまう。

 

彼は、ようやく待ち望んでいた女性と出会えたことを確信する。愛なんて!と冷笑していた彼と、なかなか自分の心を開くことができなかった彼女。一緒に暮らし始め、互いにこの上もない平静さを見出す。

 

ヴァレリーは旅行ツァーを企画立案する会社の有能なキャリアウーマン。斬新なツァーを発表して、ヒットさせては、自分自身の価値とそれに見合うギャランティーをアップさせている。二人は、新しいツァーのリサーチも兼ねてキューバを旅行する。

 

タイやキューバの旅のシーンもふんだんに描かれ、そこそこ旅情も味わうことができるし、フランスの旅行会社の内幕も知ることができる。

 

ひょんなことから彼が発案した究極のツァーの下見に再びタイに出かけ、彼女は、この地を終(つい)のすみかにすることを決める。そこで悲劇が起こる。ラストは述べられないのだが、偶然とは言え(あるいは作者の時代を嗅ぎ分ける優れた嗅覚かもしれないが)、現在の重苦しい雰囲気を表現しており、主人公の哀しみが、とても他人事のように思えない。

 

フランスでは反イスラム小説、アジア人蔑視、女性を性の商品と見なした小説として物議を醸したそうだが、それは瑣末なこと。だって小説なんだからさ。男と女、愛、セックス…。ストレート、真っ向勝負、ぐいぐいと読み手を引っぱって行く。どこからどう読んでも、紛れもなく現代、今の恋愛小説である。


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